お前の髪の価値

AKBに興味はありません、ええ。


峯岸みなみという人がエグザイルの下部組織のにいちゃんとお泊りしたとかで丸坊主になってyoutubeに動画を公開したとかで半ば強制的に話題にしていますが、まあ、なんだかなあという感想です。


ただまあ、AKBに興味がなくとも、この騒動を外側からとらえたときに持った感想は述べることが出来ますので、なんとなく書いてみたいと思います。


女性が丸坊主にするってことは、まあそれなりに意味があることです。もちろん男性もなんですけど。「髪は女性の命」なんて言葉もあるくらいですから。実際に命ってことはないんですけど、その命的なものをバッサリ落としてまで「反省」に臨んだ峯岸さんはそれなりに「申し訳ない」という気持ちを表明したとは思うんです。


しかし、「泣いて坊主にしてまで縋りたいAKB」と「男」を天秤にかけたときに、「男」を取ったわけですから、それはもう泣こうが喚こうが坊主にしようが男の子に手ブラされようが、そりゃもう許してもらえないわけです。そもそも許してもらえると思っていること自体が鼻につく。「10代の女の子(峯岸は二十歳だけど)に恋愛禁止なんてルールはバカげている」というのはもっともな意見ですが、そういうルールのもとで楽しませているし楽しんでいる人がいる以上、ルール違反はいかん。「そっちのほうが効率いいから」といって、サッカーで手を使い始めたらもうわけがわからない。ルールってそういうもんです。


で、自分はこの峯岸さんの何が一番気に食わないかというと、男を作ったことでも、坊主にしたことでもなくて、「泣いて坊主にしてまで縋りたいAKBを髪の毛切ったくらいでどうにかしよう、どうにかなると思っているAKBという組織に対する認識の軽さ」なんだよなあ。


自分はAKBに興味がないので、ここで真剣に腹を立てているわけではないのですが、もし自分がAKBの熱心なファンならこう怒っていたと思う。初期メンバーで、自分がAKBという組織を真剣に愛しているのならば、そのAKBという組織が決めた「恋愛禁止」というルールを破った以上、それ相応の処分は受けなければいけない。それがその組織に帰依する者の「愛情の示し方」としての振る舞いなのではないかと思うわけです。


しかし峯岸はあろうことか「坊主になったから許してねてへぺろ」と言わんばかりに、自分の都合のいいルールでもってAKBという組織の決めたルールを自ら軽んじようとしている。それが泣いて坊主にしてまで縋りたい組織への愛情の示し方とはとても思えない。そもそもそんなに愛情があるならお泊りしなきゃいいし、そんなに愛情があるならやめればいい。自分が坊主にして残ることでAKBという自分の愛すべき組織がまた一つ批判に晒されるということを考えたことはないんだろう。


もちろん内部にいる人、そしてその周囲の人間は峯岸を赦すんだろう。それはそれで構わない。応援している者がそれで済むなら解決しているんだ。けど、自分がもし同じ事態がももクロちゃんに起きて、こんな茶番を見せつけられたらはっきりと心は離れてしまうだろう。それは「男がいた」という意味ではなく、「ももクロちゃん」というグループに対するケジメの示し方、いわば「愛情の示し方」はそんなに軽いのかという失望ですわな。言い方はものすごく悪いが、お前の髪の毛くらいで許されると思っているのであれば、お前のAKBに対する愛情はお前の髪の毛程度のもんでしかないということ。その程度の認識の「軽さ」が、今回の謝罪の軽さと同義だということに気づいちゃあいないんだろうな。


ま、別にどうでもいいです。