青春追体験せず

ももいろクローバーZの映画「ももドラ momo+dora」を観てきました。


いまやアイドルといえばAKBの独壇場なわけですが、ひときわ異彩を放ちなおかつファンの心をつかんで離さないアイドルたちがいる。彼女らを「ももいろクローバーZ」というわけです。知らない人はちょっと検索でもしてライブ映像を見てみてください。たぶん色んな点に「!?」となるでしょう。「金田一少年の事件簿」なみに「!?」が頻発するアイドル。それがももクロZ。


とまあ簡単に紹介してはみたものの、自分は完全に後追いもいいとこで、正直このままメインストリームに入っていくつもりもない。お前に何が分かるといわれてしまえば多分大したことも知らない。そして今後さらにどっぷりハマる予定もない。けど後発だろうとなんだろうと見ていて楽しいものは楽しいで仕方ないし、どっぷりとはいかなくてもライトにはまってしまう要素は山ほどある。けどまあ今回は自分の役割ではないと思っている。


今回は彼女らがドラマに挑戦した「ももドラ」をわざわざ映画館で見てきたことを余すところなく感想を述べるのが先決だ。


そもそも映画を観に行くことになったのも自分の発案ではない。自分よりはるか前からももクロ愛を語っていた小学校からの友人であるF氏に「あるけど、行く?」と言われたのだ。そう言われたら行かない手はない。ただし北海道で上映しているワーナーマイカルの劇場が最寄で札幌の隣町である江別市というのが最大のネックだったが、F氏が連れて行ってくれたおかげでその問題も解消。何も迷うことはなかった。そこにある「ももドラ」というドラマ映画を観て感想を述べるしかない。使命だと思ったね。ウソだけど。



というわけで地元からはるばる一時間ほどかけて江別に到着。道中の車内では「4.10中野サンプラザ大会 ももクロ春の一大事〜眩しさの中に君がいた〜」が流れており、いちいちいろんな話をしながら盛り上がる。バカなカップルみたいだったが、男同士である以上カップルではない。バカは否定しない。


平日の6:20上映という時間帯。とうてい一般人の来れるようなタイムスケジュールではないのだが(ちなみに自分も友人Fも本日仕事が休みでした)、いったいどれだけの人が来るというのだと内心ワクワクしていた。友人Fは「もしかして高校生とかいるんじゃないのか」と密かに思っていたらしいが、自分としては「いったいどれだけ同じ臭いを撒き散らした人間が来るのか」と興味本位もいいところ。結局その回を鑑賞したのは、自分と友人Fを含め6人。全員見事にオッサン。ももクロもぐんぐん知名度を上げているとはいえ、北海道の片田舎まで映画を観に来るようなファンは所詮オッサンばかりなのである。まだまだ知名度は低い。


今後映画を観るような物好きはここから完全ネタバレなので気を付けてください。まあ基本的には誰もいないと思うので。


エピソード1はしおりんこと玉井詩織がメインの「神様だって、」。片想いの人と両想いになれるように、その彼が部活でお参りに行く神社に行き、そこで神様に縁結びを願う。縁結びだってお互いの顔が分かっていたほうが神様も迷わない、とあまりにも「自分らしいやり方」で恋を願った詩織。そんな話をしていた喫茶店に、その彼が現れ…で話は終わる。


ももクロでの玉井詩織はキャッチフレーズが「みんなの妹」であるように、これを見ているオッサンどもはしおりんのあまりに可愛すぎる行動に「がんばれしおりん!」と思わず応援したくなるわけだ。しおりんファンにはたまらん一本なのだろうが、ライトなファンもいいところの自分は「ケータイの色がそれぞれのイメージカラーとちゃんと一致しているわけね」と基本的な小ネタを探しつつ眠気をこらえるのに精いっぱい。眠くなるのは最近自分が1.5倍速での録画番組消化に慣れ過ぎたせいかな、と早くも文章にしたときの言い訳を探していた。こういうところが大人のよくないところだ。


エピソード2はあーりんこと佐々木彩夏がメインの「姉カレ」。大好きな姉が結婚するのだが、姉を奪われるような気がして素直に祝福できない彩夏。姉との思い出であるコーヒーを飲んだ喫茶店にひとりで当時飲めなかったカプチーノを頼みつつ、姉の相手に会うまでの時間を潰す。実際に姉の相手にあってもうまく笑顔が作れない。部屋に戻ってからも複雑な気持ちは続くが、知らず知らずのうちにコーヒーを飲んでいたこと、そして姉に心配をかけていたことを姉から知らされる。今度は自分が姉を安心させる番だと気づいた彩夏は、姉にコーヒーが飲めるようになったことをメールで報告する。


自分の文章が拙いのを差し引いても、あまり面白さが分からない中身。実際映像を見てもあーりんの切なさはよく分かるんだが、それ以上に退屈感が否めない。しかし自分はこのエピソード2を見ながら「とりあえずももクロではあーりんを推していこう」とそう決めました。理由は簡単。正月に札幌に帰省した友人K氏が東京みやげとしてももクロのライブグッズの鉢巻ネクタイを買ってきてくれたんですが、それがあーりんのイメージカラーであるピンクだったからです。じゃあもうあーりん推しでいいかなとこの映画を観ながらそう考えてました。それだけ脳内に隙間があったということも申し添えておきます。でもそう言っておきながら実は個人的に一番好きなエピソードです。


エピソード3は小さな巨人有安杏果の「コトダマ」。陸上部の大会メンバーに選ばれずへこんだ杏果はつい弱気でへこたれたことを言ってしまう。そんな折に図書室で以前に借りてもいない本が自分の名前で借りられていたという事態が発生。手続きをした生徒は確かに本人だったと証言。それはドッペルゲンガーではないかという話に。そして実際ドッペルゲンガーが現れる。罵詈雑言を吐けば消えるという話を聞いていた杏果は、自分のイヤな「弱気な自分」をぶちまける。するとドッペルゲンガーは屋上から飛び降り、消えてしまう。


若干ホラーチックでもありSFチックでもある異色作。有安さんに色恋沙汰は似合わないというスタッフのグッジョブすぎる判断の賜物でしょう。有安さんはおそらく演技勘があるんだと思います。当然上手くはないわけですが、他のエピソードで見せる演技もなかなか堂に入ってました。これからももクロがテレビに進出していくにあたって最重要人物が彼女だと思います。


エピソード4は感電少女高城れにの「色恋」。画材店で見かけた片想いの男の子となんとか接点を持つために、自分も県展に作品を出品しようとするれに。目標のために鋭意的に作品を仕上げるも、その男の子が別の女の子といるところを目撃。やる気を失いかけるがモデルになってくれた夏菜子の励ましにより復活。結局れにの作品は落選してしまうが、男の子のほうは入選する。それでも話しかける話題のために、彼の作品を観に行くが、そこに描かれていた「笑顔」というタイトルの作品は、まさしくれにそのものであった。


問題作(笑)。話の流れはよくあるもんで、展開も簡単に読めてしまうわけですが、このオチはねえよなあと素直に思った。劇中でれにさんが「自分のやってることはストーカーなんじゃないか」という風に思うも、夏菜子に「こんなに可愛い子はストーカーとはいいませーん」と励まされるシーンがあるわけですよ。この時は「ま、結局ストーカーか否かは顔面によるんだよな」とこの映画を観に来ているオッサン全てに楔を打ち込むような酷なことするなあとのんきに思っていたわけですが、結果的に片想いの相手が自分をまるでモデルにでもなったかのような完全な形で油絵で発表する(しかも鞄につけてるナスのキャラクターまで)というストーカーはだしの行動に打って出ていたわけです。これはある意味ホラーですよ。れにさんの最後のセリフが「ウソ…」なんですが、このセリフは「相手も自分のことを思っていてくれたんだ。信じられない。恋がかなった」の意味で採ることももちろん可能ですが、「自分の好きな人はろくに知りもしない自分のことを完全に描き上げてしまう、ある意味自分なんかよりもよっぽどストーカーまがいの人物だったのか。ウソだろ」とも取れるわけですね。自分は間違いなく後者だと思ってますが。「世にも奇妙な物語」で発表したい作品。


エピソード5は茶畑のシンデレラ百田夏菜子の「お願い!DJ」。片想いの男の子を誘って一緒に行こうと思っていた映画の前売り券を、事情を全く知らない詩織がもらってしまう。そのことにショックを受けた夏菜子は学校をさぼってしまう。事実を知った詩織は、いつも二人が聴いているラジオを利用して彼女を映画に誘う。しかしそこに待っていたのは詩織ではなく、夏菜子が誘おうとしていた片想いの男の子だった。詩織が仕組んだサプライズだったのでした。


これぞ青春ですよね、というももクロのセンターを張りリーダーでもある夏菜子にぴったりの脚本そして演出。さわやかな気分になれました。以前「彩恋 SAI-REN」という関めぐみ主演の映画を観たときと同じような、自分もそういう時期があったにも関わらず、しかし決して交わることのなかった「高校生の青春」をストレートに味あわせてくれる作品。友人F(彼女アリ)は「なんか昔を思い出してしまうよね」とか言ってたわけですが、自分は完全に「異世界でのみ起こりうる高校生の世界」としか捉えられない。誤解無きように言えば、決して友人Fだってドラマに描かれているような華やかな生活だったわけではない(ただし当時も彼女はいたが)。ただ、ああいう映像を見れば「そういう感覚ってあったよな」という気分にはやっぱりなるようだ。自分は確かに高校生だったし同じような感覚を持ち合わせていてもいいはずなんだが、全くと言っていいほど、ない。自分の高校生活とはいったい何だったのか。


てな感じで本編は終了。ジャッキーチェンばりのNGシーン(大嘘)がスタッフロールとともに流れ、映画は無事終了。自分と友人Fを含む6人のオッサンがそれぞれの思いを胸に抱いて劇場を後にしたのでした。


正直大して期待もしていなかったし、ドラマの出来としても想像の範囲内に収まるものでしかなかったわけですが、そんなことどうでもよくなるような「いいね」感がそこにはありました。自分ももういい歳になってしまいましたので、いつもどうしても余計な下らない、かつゲスなことを考えてしまうのですが、少なくともあのスクリーンの中だけはそんなゲスとは一切関係のない「ピカピカな青春」が存在していたと思います。それは自分がかつて手にしていたから眩しいんじゃなくて、全く持ち合わせていなかったからこその憧れがあるのかもしれません。もちろん過去に持ち合わせていた人には持ち合わせていた人の感想があるのでしょうが、そんなものどこを探しても見つからなかった自分が吐ける精いっぱいの賛辞は「なんか、よかったよ」である。彼女らの眩しさはゲスな自分には眩しすぎるけど、その眩しさが反射して自分も少し眩しくなってくれればなあ、と思った。


だから我々二人は「なんかよかった」ことを噛み締めるために、帰りの道すがらカラオケに寄ってももクロの曲ばかりを1時間熱唱したのである。そんでもって帰宅して久々に長文書いたらもう真夜中である。明日は仕事である。もう自分に眩しさは残っていない。働くの。働くの。キミに会うとき嬉しいし。でも自分の「キミ」はどこにも存在しない。そして僕は途方に暮れる。