限定「美人」

別に学歴のある女性に厳しいわけじゃないんですよ。東大卒の菊川怜なんかは好物ですし。嫌いなのは「学歴だけで女性タレントを気取る人物」なのです。その最たる人物が八田亜矢子だという話を書いたつもりだったんですが、どうも伝わってない。


完全に「理解してねえな」と思ったのは、これまた東大在学中の女性タレント三浦奈保子を引き合いに出して「こいつのほうが性格悪そうなのに批判しないのは、クイズの正解率がいいからでしょ?」と書く。んなバカな。三浦と八田のクイズの正解率なんて統計取ったわけじゃないけどおそらく大差ないでしょう。


ではなぜ三浦ではなく八田を批判したのかといえば、単純に三浦よりも八田のほうがテレビの露出が多く有名であるから。「学歴だけで女性タレントを気取る人物」の代表選手なわけです。三浦も当然このカテゴリに含まれてますが、八田のほうが活躍しているから当然に八田を批判するわけです。もし三浦のほうが売れてりゃクイズの正解率なんか関係なく三浦を出すに決まっている。トンチンカンもいいところな批判をありがとう。クイズに関する思いと、高学歴タレントへの批判とは全然別の話。


誤解なきようにいえば「学歴だけで女性タレントを気取る」と書いてますけども、八田も三浦も、そして「ミスなんちゃら」と肩書きがつく女子アナ予備軍みたいな連中も、みなそこらに歩いているレベルでは「美しい」とは思いますよ。決してブサイクではありません。しかし芸能界という日本中から美しい人たちが集まる現場において、そのツラでタレント気取ってるんじゃねえよ、というのが多すぎるというだけのこと。


彼女らが高卒であればこんなにテレビで重宝されたか、といえばそれはおそらくNO。ではなぜ彼女らが重宝されているのかといえばそれは学歴があるから。有名大学を出ているあるいは在籍していることによる「才色兼備」という魔法があるから。本来なら芸能界で活躍出来るようなツラでもないのに、「学歴」という自分からすれば「不当な」底上げによって芸能人ヅラしていることが腹立つ。勉強が出来りゃ許されるのか。んなこたぁないだろ、と言いたい。本当の芸能人たちに失礼だと言いたい。


「美しくて、なおかつ学歴がある」。これは別に構わないんです。美しいからこそ芸能界で活躍でき、その人がたまたま学歴があるだけ。けど今学歴を武器に女性タレントを気取っている連中は「学歴がある。その割には美しい」という「その割には」が完全に重宝された形になっている。要するに「勉強の出来る人に美人は少ない」ちゅうある種の偏見が彼女らを相対的に押し上げてタレント気取りにさせているだけ。この現状が腹立たしいわけです。


失礼ながら例を挙げれば「美人プロゴルファー」はたかが知れているというのと同じ。この言葉は「美人のプロゴルファー」ではなく「プロゴルファーにしては美人」という意味。この意味が世間と本人らの間で了解が出来ていれば問題はないけど、どうも学歴女性タレントにはその部分が怪しいと思う。たとえば一応ゴルファーのなかで「美人」とされている上田桃子を、芸能界の本当の美人に混ぜて「美人」と紹介するのはしんどいということ。この構図がなぜ高学歴でタレントを気取る女性には通用しないのか。


ゴルファーがまがりなりにも「美人」と形容されるのを許されるのは、ゴルフという本業があるから。プロゴルファーのカテゴリでなら相対評価で「美人」でいいのだ。同様に、高学歴の女性たちを「ミスキャンパス」というカテゴリで、一般の大学生より相対的に「美人」とされてチヤホヤされるのなら別にいいのだ。けど、その「ミスキャンパス」というカテゴリを何を間違ったか芸能界というもっと大きな、大袈裟に言えば日本全体の中でも相対的に「美人」とするには明らかに実力が不足している奴が多すぎる。にも関わらず、奴らが美人を気取って芸能人ヅラしているのは反則だろう。もう一度書くが、芸能界に無数に存在する本物の美人に失礼なのです。


学歴があるのは素晴らしいことです。美しければなおのこと素晴らしい。けど、芸能界は本当に美しい人たちが活躍する場所であって、大学レベルで美しい程度のやつが来る場所じゃないと自分は思う。そういう人は別の点で努力をしてアナウンサーになるか、一般企業に就職して「美人社員」という肩書きでチヤホヤされればいい。少なくとも八田レベルの女が芸能界でタレントやってるのは、ちょっとね、というだけの話です。


蛇足ながら優木まおみですが、こちらは学歴どうこうよりも「存在意義がよく分からない」だけの人です。このポジションの人はどの時期にも必ずひとりはいますんで、それほど心配してはいませんが、やっぱりあんまり好きじゃないです。結局この両者が引退をかけて戦うのが一番収まりがいいという意見は変わるものではないです。