東尾理子は「何か」が凄い

朝起きてワイドショー見てたら「石田純一東尾理子と結婚」という報道が。飲んでいたもの吹き出すところだった。


石田純一といえば説明不要の「芸能界イチ靴下を履かない男」であり、東尾理子といえば西武でピッチャー、監督を務めた東尾修の娘でプロゴルファー。この二人が結婚する(予定)だなんて、誰が想像するだろうか。年齢の話をすれば、石田純一の年齢は当然ながら東尾理子よりも父親の修のほうに近く、また東尾理子石田純一ではなくその息子のいしだ壱成よりも年下である。


しかしそれ以上に「石田純一東尾理子」という「謎」としか言いようのない組み合わせ。そりゃ石田純一はゴルフ好きだから(かの「不倫は文化」という趣旨の発言が生み出されたのもゴルフ場でした)、プロゴルファーでもある東尾理子と親しくしていても不思議じゃないとはいえ、である。


おそらく世間の人々はこの報道に対して「また石田純一が女性にちょっかいを出した」という見方をするのではないだろうか。間違いでは全然ない。そりゃバツ2の50代男性が未婚の30代の女性と結婚するとなれば、というか石田純一がまた結婚するというだけで「またかよジュンジュン」と言いたくもなる。


ただ、自分はこの報道を見たときから「東尾理子は実は『何か』が凄いんじゃないのか」という疑問を持たずにいられない。以下理由。


石田純一という人に実際に会ったことはありませんが(そりゃそうだ)、テレビから察するに非常に「気を使う人」に見えます。それは女性に優しいということ以上に「周囲の人全般に気を使う」という感じ。ジローラモは女性にだけ優しいのでしょうが、石田純一は誰にでも優しい。地方ではかなり横柄な態度のキャラメルヤクザのような男がいる一方で、北海道ローカルでも非常に物腰の柔らかい石田純一を見たときに「ああ、この人は根っから他人に優しいから女性にも優しいんだ」と思ったもんだ。完全に私見ではある。


だから東尾理子に対しても抜群に優しかったのではないでしょうか。そんなジュンジュンの優しさに東尾理子がメロメロになったという見方をするのが一番真っ当ではあります。しかしここで自分が引っかかるのは「東尾理子は以前ケインコスギと交際をしていた」という点である。


ケインコスギといえば言わずもがなショーコスギの息子であり、スポーツ万能、アクションもこなす俳優でイケメンでもある。一方で東尾理子東尾修の娘でありプロゴルファーでもあるが、これといってゴルフの成績がいいわけでもなく、また身も蓋もないことを言えばそれほど美しい人でもない。簡単に言えば父親似の良くも悪くも典型的な“女子プロゴルファー”ある。正直なところケインにとって東尾理子の何が魅力だったのか自分にはよく分からない。


そして石田純一はかつて松原千秋と結婚し、さらには長谷川理恵と交際していた。二人とも同系等の顔であり、自分の好みではないけども一般的には「美人」と形容される顔だろう。石田純一本人は「女性は顔じゃない」と言うかもしれないが、今までの女性遍歴を振り返れば確実に石田は美人が好みなのである。これは否定のしようがない。東尾理子も大雑把な分類でいけば松原・長谷川と同じ系統に属するような気はするが、それでも「同レベル」と言うには厳しいものがある。


別に「東尾理子の顔面偏差値が低い」という話をしたいのではなく、問題は「顔面偏差値が高くないにも関わらずなぜ東尾理子はこんなことになっちゃってるのか」という話がしたい。ケインにしろ石田にしろ、なぜ東尾を選んだのか。宮里藍上田桃子レベルのゴルファーならともかく、はたまた実績は今ひとつでも浅尾美和菅山かおるのような美貌を持っているわけでもない。となれば、東尾理子には自分が窺い知ることの出来ない「何か」があるという結論に帰着する。


まあ一番分かりやすいのは「優しい」とか「家庭的」だとか、いわゆる「女性は顔じゃない」という説明をするときの典型的な理由だろう。美人は三日で飽きるがブスは三日で慣れる、みたいな話もあります。ただ、この理由にしても、ケインコスギのような若者ならともかく、もはやバツ2で50代も半ばであり、酸いも甘いも味わい尽くしたであろう石田純一がこんな単純な理由で落ちる(あるいは落とす)とは思えないのです。また、単純に「金目当て」というのもあてはまらないでしょう。


ここで話をアクロバティックに展開するために、ある本の一説を引用したい。

 かように、「なんであんな奴がモテる?」というのは、フクロのぶらさげ度の問題でした。文化系も体育会系も、顔も性格も金もあまり関係のないことだったのです。
 飲み屋における男の最大の疑問は「林家こぶ平(引用者注:現林家正蔵)はなぜモテる?」ですが、「実は優しくて」といった理由ではなく、「タマでかそう」だったと思えば納得出来るのではないでしょうか。逆に、すごくハンサムなのにちっともモテない人がたまにいますが、その理由も「タマ小さそうだから」と思えば納得できるかと思います
みうらじゅん著「正しい保健体育」97ページ 理論社

上記の文章はMJが主張する「男が女にモテる基準は、モノの大きさではなくフクロの大きさである」という説明の具体例を挙げたものです。その中身が気になる人は実際に本書を手に取られればいいと思いますがそれは今はどうでもよく、自分がこの文章を引用した理由は「モテる理由が分からないけどもなんかモテてる奴にも何かしらちゃんとした理由がある」という説明がしたかったからです。


つまりは、東尾理子には我々には分からないがケインや石田純一を虜にする「何か」を持っているということである。そしてこの文脈からいけば当然にその「何か」を推察するべきなのでしょうが、敢えて言わせてもらえば「知りたくない」。ここまで推察しておいて放棄かよ、とお思いでしょうが、その通りである。「東尾理子は何かしら持ってる」んだろうということは伝えておきたいんだけど、かといって「それが何か」に関しては知りたくない。ていうか想像したくない。


別に下ネタ的な話であるから想像したくないのではなく(もっとも下ネタの話をしていたつもりはないんだけど)、これ以上東尾理子の「何か」に踏み込むことで自分も東尾理子の虜になってしまうのではないかという危惧がある。「好き」の対義語は「嫌い」ではなく「無関心」である。人は関心を持つからこそ好きにもなるし嫌いにもなる。つまり、ここで東尾理子の「何か」に対し関心を持つことはこれ即ち東尾理子を好きになる第一歩ということだ。だからこそ自分はその第一歩を踏み出さないためにも「何か」に対して徹底的に無関心でいようと思う。


その一歩を不用意にも(笑)踏み出した石田純一に幸あらんことを。