この支配からの

SANSPOによれば「報道2001」のコメンテーターである竹村健一が番組から“卒業”するらしい。


卒業とな?


いやもちろん意味は分かる。番組を降板するということだ。それが竹村の意向なのか番組の意向なのかは知らんが、とにかく番組を降板するということは間違いない。ただ、その降板を「卒業」と表現するのが気に食わない。「卒業」とは体裁のいい言葉であって、「降板」なら角が立つけども「卒業」ならば「これから」を連想させる前向きな言葉として処理できる。なんてことはないただの降板のくせに。要するに言い訳がましい。


ただの降板を「卒業」と表現するようになったルーツは定かじゃないけども、イメージとしては一年毎に出演者が入れ替わるアイドル番組なんかで用いられていた感じがする。毎年繰り返すことであるし、また若い女の子(あるいは男)が「卒業」と称して番組を送り出されていく様は「卒業」という言葉に換言してもさほど違和感はない。そういう意味では「恋のから騒ぎ」の出演者は「卒業」という言葉が相応しい。年齢はともかく。


しかし竹村健一は1992年から16年間もコメンテーターを務めているし、そして何よりオッサンだ。何一つ「卒業」というイメージではない。にも関わらず竹村を「卒業」と言って憚らないのは、もうこれは言語感覚が完全におかしいか、単に竹村を降板させることに負い目を感じているか降板させることで悪者になりたくないかのいずれかしかでない。


なんかこう、テレビ局の都合だけで「卒業」なんて言葉を用いられるのは竹村健一だってたまったもんじゃないだろう。竹村健一がセーラー服で最後の出演をするのならともかく、そうでないのであれば、最終回に「だいたいだねえ、なんで私の降板を卒業なんて言葉で言い換えなければならんのか」とぶちかましてほしいもんである。