企業体質

プロ野球選手の新庄が日テレの歌番組でレギュラー司会だとか。


新庄といえば阪神→メッツ→日ハムと活躍した選手であり、自分にとっては日ハムが北海道に移転してから外野で形のいいケツを見てファンになったこともあり悪感情はなく、突飛ともいえる発言や行動も概ね「いいんじゃないの」という感覚で見てきた。しかしプロ野球引退後の新庄については、一応タレントという肩書きではあるものの、その実具体的に何をやっているわけでもない彼に
対して特に興味があるわけではない。


そんなタレントとしての新庄は、引退直後は様々な番組の様々な局で見たのだけど、それが一段落してからは殆ど日テレの番組でしか見かけなくなった。「志村どうぶつ園」でパンダを飼育したり、「24時間テレビ」のチャリティーをやっていたり、特番で松方弘樹とマグロを釣りに行ったり。そしてこの度日テレの歌番組の司会である。まるで日テレ専属タレントの如く。


同じように、別に日テレの社員でもないのに日テレでしか見ない人がいる。それは元NHKアナウンサーの宮本隆治紅白歌合戦の司会などでお馴染みだったNHKアナウンサーの顔のような存在だった人。フリーに転向してから、日テレの特番でよく見かけるようになり、今では日テレの「週刊オリラジ経済白書」のレギュラーが1本。この人も日テレ以外では殆どお目にかかれない。そのくせ同局の「オジサンズ11」には出てこなかったりする。出演させるには打ってつけの人物のような気がするんだけど。


ある特定の局でしか見かけないタレントってのは少なからず存在する。たとえばテレ東の旅番組でしか見ないような人たち、とか。でもこれは単にスケジュールが空いているとか、そういう旅番組の空気に馴染んでいるとか、それなりの理由があるように思う。


でも日テレでしか見ない新庄や宮本ってのはそういうのともまた違う。日テレがなんだか知らないけども彼らをゴリ推しのごとく積極的に起用している印象。別にこちらは望んじゃいないのに。おそらく需要があるなら他局からもお呼びがかかるはずなのに、そういうわけでもないから他局には出演しない。結果として日テレが彼らを囲い込んでいて、独占出演させているような感じすらある。


良い言い方をすれば「日テレでしか見られない」という価値があるのだろうが、本当にそこに価値があるかどうかは疑問。それどころか「日テレは彼らのどこを評価しているんだろうか」という疑問すら沸きあがる。新庄のタレント性があるのは分かるし、宮本アナのキャラのよさも分かるんだが、その素材に惚れ込んだ日テレが彼らのよさを存分に引き出しているのかといえば、これが素直に頷くことが出来ない。だからこそ余計に「なんか勿体無いんだよなあ」という感想が口をつく。


まだ自分が小さいころ、局アナ時代を知らずにフリーになった直後日テレでよく見かけた逸見政孝を日テレの人なんだと勘違いしていたことがある。結局逸見さんの場合はその後他の局でも頻繁に見るようになった。日テレとしてはマジメキャラだった逸見さんの秘められたバラエティ向きのキャラを開花させたという自負があり、それを宮本アナでもやりたいんだろうが、残念ながら今のところその試みは成功していない。


日テレは何も彼らだけでなく、「エンタの神様」においてもいわゆるエンタ芸人(エンタにしか出演、通用しない芸人)を量産して囲い込んでいる。エンタ芸人の場合は「日テレ(エンタ)でしか見られない」という価値の付加と本来そこまで面白くないがゆえに「他局では需要がない」という両要素がより顕著である。この構造は企業体質なんだろうか。


エンタの神様」しかテレビ出演が殆どなかったサンドウィッチマンがM-1王者になったことで各局あらゆる番組に呼ばれるようになったことを考えれば、エンタの囲い込みというのは単なる幻であり、エンタ芸人だって宮本だって新庄だって需要があれば他局に呼ばれるだろう。にも関わらずやっぱり日テレでしか見られないのは、日テレが需要もないタレントを何らかの都合か需要があるという過信でもって起用し続けるがゆえのいびつな現象なのかもしれない。


(追記:結局この音楽番組「THE M」については正月に放送された特番のみ新庄が司会をしたにとどまり、レギュラー化の際には石井竜也らが司会になった。この報道はなんだったんだと思うが、書いていること自体は別に問題ないのでそのままです)