「VTR止めて!」にはどれほどの信憑性があるのか

たまたま「学校へ行こう!」をつけたら、みのもんたが激怒するシーンに出くわした。どうやらみのもんたにどのくらいちょっかいをかけることができるか、という企画に対してV6らが挑んでいたものだが、結論から先に言えば仕掛け人のみのとV6のリーダー坂本を除いたメンバーに対するどっきりだったのである。あまりに酷いちょっかいをかけられたみのが企画を無視して怒りだす、という昭和のどっきりのパターンである。ちなみに、どっきりということは一応視聴者側にも最後まで伝えられていなかった。

でまあ、この企画がどっきりであり、みのの怒り方が上手かったとかそういうことに言及するつもりはない。あくまでみのはみの。

それよりも一番気になったのがみのの「ちょっとVTR止めて!」の発言である。この発言、芸能人がどっきりで怒り出す時の常套文句であり、この手の企画の時には必ず仕掛け人が発するセリフのように思える。

説明するまでもないが、このセリフは「番組の進行をしている場合でないから、ちょっと今VTRを録画するのをやめてくれ」という怒りの文句である。収録なんぞやってられるか、と。「これから自分は怒りますよ」という口火の発言なわけですね。

ただ、我々一般視聴者はこのセリフを聞く機会というのは、それこそこのようなどっきり番組でしかあり得ないのである。なぜなら、実際の現場で本当にこのような事が起きれば、本当にVTRは止まり、仮に録画されてても放送などには絶対に流れないからである。これも当たり前。タレントがマジ怒りをしているのに、それを流すようなことはあり得ないのだ。

よく考えてみてほしい。テレビを見ているこちら側としてはこの「VTR止めて!」の発言を本来はリアルに体感できないのにも関わらず、それが怒りの発言であり、さらに「どっきり」であることを即座に認識することができるのである。逆に言えばこの発言が放送されることは必ず「どっきり」であることの証明になるのである。

視聴者側からしてみれば、この発言によって即座に「どっきり」であることがわかるのだが、それでもこの「VTR止めて!」発言がどっきりの場で後を絶たないのは、それだけ実際の現場にはこの発言が飛び交う機会が多く、そしてシリアスな場面に直結するということの表れであるように思える。

しかし、それはあくまで「テレビ側の人間」にとってのどっきりの緊迫感を漂わす手法に過ぎず、まるでこちら側を意識しているとは思えない。そりゃどっきりで大事なのは騙されるテレビの中の芸能人がいかに本当のことかのように騙されるかが大事なのではあるが、今回のように「視聴者も当事者と同じように騙す」というケースであれば、テレビの中の芸能人を騙すと同時に、視聴者を騙すような手法をきっちり取るべきだと思う。はじめから「どっきり」の番組であるならその必要はないだろうが、そうでないならばその必要はあるだろう。

それとも視聴者を最後まで騙す必要はないと考えるから、視聴者には「VTR止めて」という発言においてどっきりである事のネタバレをしておくというのが魂胆なのだろうか。そうであるなら文句は言えないのだろうが、自分はどうも「テレビ制作側の驕り」がどっきりのシナリオを書く際にあるような気がする。

テレビの中では効果抜群でも、テレビの外側には全く効果なし。なんだか不思議な言葉ではないか、「VTR止めて!」とは。