キヨマーと私

金スマ」で清原の特集。


昨年離婚・薬物疑惑(に関しては「一連の報道」として一切触れることはなかったが)とあまりに悪いイメージが付きすぎて、テレビから一切呼ばれなくなった清原。彼が一年の沈黙を破って何を語るのか、と最初に書いておきながら、「どうせ特に大したことは語らないのだろう」と思っていて、そして案の定何も語らなかった。近況を少し喋って、今後また活動をしていきたいというだけの話。感想は「そうですか」の一言である。まあ「金スマ」お馴染みのパターンですわ。


ゲスな我々が知りたいのは、結局「なんで今更離婚されたのか」「本当に薬物は大丈夫なんだろうな」というあたりであり、離婚に関しては「家に帰ったらもぬけのからだった」というエピソードは登場したものの、薬物に関しては完全にスルー。そこを不自然にスルーすることが「やっぱり危ないんじゃねえのか」という疑惑を助長します。まあ難しい問題ではあるけども、そこらへんが話せないのであれば出てくるには時期尚早という感じもします。


番組は基本線として清原の野球人生を振り返るという、特に目新しさもない構成。まあ何も語れないんだからそうやってお茶を濁すしかないわな。あらためて巨人の冷酷さが分かったところで、今の清原には何も関係がないのだし。


んで、目新しいかつどうでもいい情報が「お遍路」であった。「困ったらお遍路」というのはあまりに少ない引き出しであるが、金もコネもない清原が単独で出来る「辛そうなロケ」はもはやお遍路しかないのだ。お遍路そのものよりも「お遍路頼み」という状況がより清原の深刻さを物語っている。


しかもVTRを見たとことで、「今清原がお遍路に行っている」ことは分かったのだが、その1年前にあった暗闇の渦中にいたときのことは一切わからない。そこで何が起きたのかも、そもそも「どうしてこのような事態になってしまったのか」すらわからない。視聴者はそんな曖昧な清原を見て「なんか清原かわいそう」とでも思うか。思わないぞ。そんなに甘くないだろ。清原の現役のときのエピソードはいいんだ。わかっている。わかってないのは去年の話だ。


このお遍路のVTRは完全に「なんか目新しい情報」を添えるためだけのものであったが、あんな短い実のないVTRなのに胡散臭いところがたくさんあった。ひとつめは「白装束に金ネックレス」である。お遍路の基本である白装束はいいとして、そこに「プロ野球選手の俗物の象徴」であるところの金ネックレスが堂々と映りこむ。


この金ネックレスにどのような思いがあるのかはわからない。もしかしたら離婚して離れ離れになって暮らしている息子の写真でも入っているのかもしれない。それにしたって、白装束に金ネックレス。身に着けるにしたって白装束の下に隠したっていい。堂々と「ワイは金ネックレスしてまっせ」と言わんばかりだ。自分からしたらド派手な違和感でしかない金ネックレスを堂々と身に着けられるメンタリティ。まだまだ清原の闇は深いと思えてしまう。


ふたつめは「なぜかファンに握手を求められる清原」である。彼の周りから人が離れていったとはいえ、清原に応援してくれるファンが一切いないとは思わない。しかしその一方で、唐突にお遍路を始めた清原が白装束でノコノコ歩いているのを、曇天の空の下、軽自動車の中から「あ、清原だ」と気付くのか?自分なら1000%気付かない。はっきり言うぞ。仕込んだろ。


そして最後はやはり「このお遍路何のためにやってるの」だろう。VTRでは「両親のため」とか「友人のため」とか、テキトーな理由をつけてはいた。ナレーションでも「清原はいったいなぜ膝を引きずってまで歩き続けるのか」なんて煽りも入る。


それでは自分が代わりに答えて差し上げよう。そんなもん1年ぶりのテレビの企画だからだろうよ。VTRが番組で取り上げられることを承知で清原は歩いているし、そんな状態と知っておいて水を向けているのはTBS側だろう。いいかげんにしてくれ。


自分が怒りを向けたいのは「TBSの雑っぷり」じゃない。やっぱり「清原にこんなことしてほしくない」という思いが胸の底にある。自分にとって清原という選手は紛れもなくヒーローなのだ。


初めて見に行ったプロ野球の試合。忘れもしない、札幌円山球場の西武日ハム戦。当時は西武が札幌での主催試合を行っていたので、3塁側が西武の応援席だったが、清原が一塁の守備位置なので、「よく見えるように」と1塁側で西武を、清原を応援した。その日清原は大して広くもない円山球場だったこともあり、1日に2ホームランと大活躍をして勝利した。


そんなヒーローが、私生活で窮地に立たされ、番組のしょうもない意図のせいでどうでもいいお遍路をさせられている。やはりそこにあるのは「悔しさ」だ。もちろんTBSだけが悪いわけではない。お遍路くらいしかやることが出来ない清原本人の現状だって悔しさの一因だ。


スターには「ずっとスターでいる」義務があると思う。それは常々アイドルのときにも言い続けていたことではあったが、今回の清原を見て再確認だ。