記憶よさようなら

30秒に1回くらい「仕事やめてえな」と思ってます。

 

先週は「スイッチ」を見て思い直したわけですが、やっぱりずっと辞めたいです。仕事そのものが嫌いなわけではないのですが、色々「見合わない」ことが増えてきてましてですね。まあ自分は転職をしたことがありませんから、他の仕事のほうがもっと見合わないこともあるんでしょうけどね。所詮は他人の芝生だとも思っている。

 

けどこのコロナ禍のさなか、降って沸いた長期休暇的なものが出来たのにも関わらず、自分のやろうと思っていることの100分の1も出来なかったことを鑑みて「このままでは自分がやろうと思っていることは死ぬまでに100分の1も果たされない」ということが確定し、それなら死ぬまでにちゃんと果たして死のうという気がしないでもありません。それら全てを無に帰して「そんなものはなかった」と思えば済む話でもありますが、それをやってしまうと今度は「今ここにいる自分は何なのか」というもっと虚無的な話になってくるわけで、そっちのほうが恐ろしいですよね。

 

そんなことを考えながら(大嘘)日頃テレビを見続けているわけです。「夜の巷を徘徊する」を見ていました。

 

北海道は首都圏に対して少々の遅れがあり、先日放送されたのは「ごみ処理場見学(再編集版)」である。「夜の巷を徘徊する」はマツコデラックスが夜の巷を徘徊するというその名の通りの番組。もう単純に面白いのでずっと見ている。番組の収録が出来ず再放送で乗り切るという時期が続いた頃の放送回ではあるが、「巷」はそういう事情がなくてもちょいちょい「再編集」と称して同じ放送をするので、そこまでの違和感がない。

 

そんでまあ今回のごみ処理場見学は自分の中で確かに「見た記憶」があります。こんな風に書いた場合、「見た記憶」というのはどこまでの範囲を指すのだろうか。

 

例えばこの回のハイライトとしては、高くそびえる煙突の内部から東京の夜景を眺めるという予定だったものの、鉄の足場で強度に不安を覚えるマツコが少しもエレベーターから動くことが出来ず、結局夜景を見ずに戻ってくるというところ。

 

自分の場合「確かにそんなシーンはあったような気がする」し、いざエレベーターを降りて、のくだりまで来たときに「ああ、確かにそんなことあったわ」と思った。しかしこの一連の流れを見る前に「じゃあこの放送回では何がありましたか?」と問われれば「一切覚えていない」と答えるしかない。

 

また、ゴミを燃やすことに関しては外部委託をしている、という話を聞いて「へー」と思ったのだけど、これも「へー」と思ったあとで「そういやこの話を最初に見たときにもへーと言ったような気がする」ことを思い出す。ある意味記憶の底にはあるのだろうが、そんなことじゃないと甦らない記憶に何の意味があるのだろうか。

 

こういう話をすると他人からは「単に加齢による記憶力の低下」だと片づけられるし、実際自分でもそう思うのだけど、自分としてはどうも「今起きていることをちゃんと記憶しようとする意識に欠けている」気がするのだ。アルツハイマー的な話ではないと思うが(これも実際のところ調べたわけではないので分からないけども)、単に「覚える気がない」というほうが正しい気がする。

 

年を取ると昔のことのほうが覚えている、なんて話もよく聞くが、残念ながら自分は今の話も昔の話も全然覚えていない。いや厳密にいえば「イヤだったことしか覚えてない」である。たまに記憶の扉が開けば「怒られたこと」とか「子どもの浅はかなズルい知恵」とか、まあ思い出さなくていいことだらけ。嬉しかったこととか楽しかったことなんてのが出てこない。そんなに悲しかったり苦しかったりした子ども時代というわけでもなかったが、同時に青春的な記憶も一切ないので、脳に「覚える価値なし」とでも思われているのだろう。自分の脳のくせに。

 

だから仕事のことも、おしなべて「辛かった記憶」しかない。それなりに達成感やら充実感もあったような気もするのだけど、まあ覚えていない。強烈な記憶に残るほどの達成感や充実感をまだ成し遂げていないという言い方も出来るだろうが、この年でそうなのだから、この後そんなことが起こるような気がしない。

 

話を戻す。自分の記憶がいちいちこれらテレビの事象を記憶していないのは「もうとっくに容量の限界なのではないか」という気がしてきた。もうテレビに関してはおそらく他の人よりあまりにムダに大量に見てきているわけで、よっぽど大事なことじゃない限り記憶しようとしないんじゃないだろうか。あまりに入ってくる分量が多すぎて、自分の脳は「いちいち覚えてらんねえよ」という省エネモードなのだろう。だから脳が自動的に「記憶する気がないモード」になっている。

 

そう考えると「もう浴びるようにテレビ見ていても何も記憶しちゃあいないんだから見てないのと同じ」だし、だったらもう一切見なくてもいいような気がしてきた。そうするとこうやってブログを書く動機もなくなるわけで、もうやめちゃえばいいのかもしれない。ただテレビを見なくなると自分の「死ぬまでにやりたいこと」の82%くらいは終わってしまうので、人生大体終わった気がする。こうなりゃ仕事に生きる価値を見い出そうとか考えることもできますが、仕事は現在進行形で絶賛やめたい盛りなので何の歯止めにもならない。

 

とまあ完全に鬱モードに入り、今すぐにでも全てを放り出して海外にでも逃げたい気分は山々なのですが、単に今放送している「帰れま10」でキムタクがノーミスでパーフェクトを出そうと出すまいと1週間後には絶対に覚えていない、ということだけが書きたいゆえの話なので心配とかはしなくて大丈夫です。