ぼくのしりあなのむずむず

「スッキリ」にぼくのりりっくのぼうよみが出ていました。引退前最後のテレビで曲披露とかで。なんで音楽番組じゃなくて「スッキリ」なのか、という素朴な疑問はあるけど、まあいいや。

 

正直なところ「スッキリ」も断片的にしか見ていなくて、上記の疑問の理由や引退の理由など、色々語ってくれているとは思うのですが、いかんせんちゃんと見ていない。そして自分はぼくりりに対する知識がそこらへんの犬くらいのレベルでしかない。つまり殆ど何も知らない。名前と顔が三浦大知のそっくりさん(三浦大似とかそんな感じの名前ついてそう)的雰囲気ぐらいは知っているが、それ以上でもそれ以下でもない。だからぼくりりについて語るなんてことは本当は無理な話だ。イントロクイズにおける外国人が初めて聴く曲の鼻歌くらいぼんやりしている。

 

けど自分は彼が引退するという現象の全てをひっくるめて、尻の穴がムズムズするような感覚に陥るので、そこらへんのことをちょっと書いてみたい。

 

彼はおそらく、賢しい。そして賢しいけど、若い。

 

「賢い」でもあるんだろうが、表現として「賢しい」のほうがしっくりくる。完全に「たぶん」の話になるが、彼は天才ではなかったのだろう。それを彼本人が気づいていた。だから簡単に言うと「逃げた」。冷静に自分が見えているがゆえ、創作において今まで繰ってきた手持ちのカードがなくなったことが分かったのだろう。これ以上でもこれ以下でもない話なのだけど、周りの大人はそこにやたら「意味」を問おうとするし、「意味」がついているほうがカッチョイイので、周囲も、そして本人もそこに「意味」をつける。意味なんかない。自分の能力に行き詰まりを感じたからやめる。それだけ。たぶん。何度もいうが、たぶん。違っても「黙れよ説教ジジイ」と言わないでほしい。言ってもいいけど。

 

まだ二十歳なので、そこらへんカッコつけたいじゃないっすか。勃起して10cmしかなくても「俺最大15cmだから」とか言いたくなるじゃないっすか。ぼくのちんちんのかちかち、じゃないっすか。そこらへんの恥ずかしい感じはある程度年齢を経れば分かるもの。けど本人若いから、そこらへん隠しきれてると思ってるんじゃないですかね。いくら「賢しい」でも若さからくるものなので、仕方ない。

 

そしてこれも完全に「なんとなく」ではあるけど、それらをひっくるめて「二十歳にしてこんなこと出来る自分、カッチョイイ」となってますよね。全然かっこよくないんだけど。だってただ逃げてるんだから。本当にその筋で才能ある人はそこから逃げずに戦い、そしてさらに良いものを生み出すのだから。大人は「続けることが一番の才能」と知ってるんだけど、本人とか、同世代の子どもはその逃避に「ぼくりりまじカッケエ」になるんでしょう。新しいこと、独自なことやってる感。そこらへんが若いなあと思う。まあ実際若いからまだマシなんだけど。

 

「いまどきの若者」って言い方はいかにもオッサンなんだろうけど、いまどきの若者に才能をぶち込んで煮詰めるとこんな感じになるんだろうな。自分が進もうとしている道は誰も歩いていない道、と本人は思っているだろうが、細部が違うだけで、彼が歩んでいるのは大枠を捉えれば「才能(仕事)の行きづまりを感じたとき、何をするか」という、至極普遍的なテーマだ。そこに色々言い訳とか理由を「つけたがる」のは、若い。その若さにおじさんのしりあなのむずむずである。twitterに突撃はしないけど、ひそかにニヤニヤしている人間がこういうところにいるのだ。そういうことに気づいたらまた音楽活動やってほしい。才能あるんだから、たぶん。

 

 

 

 

何も知らない自分には、こんな風に見えている。だから以上の文章が完全に的外れでも、それは仕方ない。自分の中で結論している部分なんで「事実と違う」とか言われても困る。そう言いたい人は見下してマウンティングすればいいと思うよ。何の役にも立たないけど。