モテナイキ

私が恋愛できない理由
香里奈主演のフジの月9。とりあえず初回を見た。この後4話まで頑張って見る予定。


今映画「モテキ」がヒットしておりまして、自分も終わらないうちに見に行こうとは思っているわけです。しかしまあ映画を見に行く前にドラマ版モテキを制覇してからではないといけないわけですが、全話HDに録画しておいて1年以上寝かせてあるという体たらくなわけです。果たして映画は見に行けるのか。そんな話はどうでもいい。


モテキ」は全国のモテない男性のモテない所以を内角ギリギリというか完全にデッドボールで食らわせる素晴らしい作品なわけです。原作もドラマも神懸ってます。ただ、ドラマに唯一の瑕疵というかしょうがないところがあるとすれば、それは「森山未來、それはかっこいい」なわけです。自分もアホではないですから、それがドラマというメディア上しょうがないということも承知のうえ、しかも森山未來がほぼパーフェクトに藤本という役を演じきっているのでそこに文句があるわけではないのです。


じゃあなぜこんなことを書くのかといえば、それが「本当にモテないやつのモテキ」であるとか、「本当にモテないやつの恋愛できない理由」であるとかを描けるのかというと、それはNOでしかないということ。だって悲惨すぎるじゃない。それはもう一歩話を進めるならば、ドラマに描かれている「モテキ」や「恋愛できない理由」は、あくまでその現実どうしようもなくモテないには絶対に超えられない壁のその先にある、「ともすればリア充な人たちのモテない感じ」という、中途半端なファンタジーでしかないということ。いや、きっかけひとつあればいくらでもモテるでしょ、と。一方で自分のような顔面残念さんが「恋愛できない理由」とかいうドラマになったら「お前のツラが理由だよ!」となるでしょう。それじゃあドラマにならないんだけども、現実ってそんなもんじゃないっすか。


「恋愛できない」理由は性格にあるかもしれないけど、「結局恋愛まで発展しない」理由ってもっとその手前にあるでしょ。なんかそこらへんの認識を誤魔化されている気がしないでもない。キレイな女性3人が恋愛できない理由を顔面に置くことは出来ないのだが、その大前提をすっとばして彼女ら3人のうち誰かに自分を投影することで「わかるわかる」となっている女がいると思うだけで、この手のドラマは罪深い。それは「モテキ」も同罪だったりするが。


あと、大島優子は一番若いはずなのに、顔に疲れがにじみ出ていてなんだか気の毒になる。休みを与えてください。


つづく。(たぶん)