下手じゃなくていいかげんなだけ

歌へた王座」のずん飯尾がイヤだ。あれは歌が下手なんじゃなくて、歌を最初からちゃんと歌う気がないだけの「いいかげんなやつ」なだけである。一生懸命歌って下手なほかの出演者に謝れと言いたい。


歌を「上手く歌う」には、それなりの努力が必要だ。いやもちろん努力なしに上手く歌う人もいるわけだが、少なくともいいかげんにやって上手く歌うということは出来ない。ただ、「下手に歌う」ことは誰でも可能だ。テキトーに歌えば誰だって下手に歌える。


自分が思う「歌へた王座」の面白さとは、自分では下手だと思ってないけども歌ってみたら結果的に下手で、その強がりや情けなさを楽しむところにあると思っている。だから、下手な奴が開き直って下手に歌うのは全然面白くない。


だからこそ飯尾のように「ハナっからマトモに歌う気がない」歌唱をする奴は面白くもなんともない。歌詞が増えたり疑問調で歌ったりするのは、単純にちゃんと歌う気がないだけの話であり、いくらでも是正可能な話だ。音を外すとかいうレベルの話ではない。下手なのではなく「いいかげん」なだけである。


これと同じ話が、SMAPにおける草ナギと中居の絵の関係だ。草ナギも中居も同程度に絵が下手であるが、草ナギは一生懸命書こうとして下手なのに対して、中居はハナっから絵をちゃんと書こうという気がない。絵を書く事に対していいかげんなのだ。そりゃ下手になる。それを見て「絵が下手」と囃したてるのはなんか違うと思う。上手く書く気がないやつは下手。当たり前だ。


飯尾の歌唱もそれと同じ。上手く歌う、原曲に忠実に歌う気がないから下手。それは「上手く歌う気があるのに下手」な他の出演者に対して失礼ですらある。いや同じ下手なんでそこに峻別する必要はないのかもしれないが、飯尾が今回の出演で「してやったり」みたいな気分になっているとしたら、それは本当にイヤだ。


単純に飯尾が嫌いなだけかもしれない。