ブスい。

劇団ひとり大沢あかねが結婚。


芸能ネタの王道である男女関係ネタ。誰が誰と付き合っているだとか別れただとか、芸能人に限らず世の中の人はこういう他人の色恋沙汰が大好きだ。自分も中学生の時に、それこそ芸能リポーターのように他人の恋愛関係をかぎまわっていたことがあったんですが、卒業と同時にバカバカしくて(そして自分が完全に蚊帳の外であることに気付いて)途端に興味をなくしてしまった。


だから芸能人の色恋沙汰についても基本的に興味はない。「月刊星野真里」にて星野に6年付き合っている男がいるというインタビューを読んではじめてそんな人がいたことを知ったけども、さほどショックを受けるでもない。あんなエロいグラビアやっておいて付き合っている人がいないほうがおかしい。ま、そんなことはどうでもよく、芸能人の色恋沙汰に興味がないのと知らないのは別であって、芸能ニュースには一通り目を通すから他人より詳しかったりはするんだけど興味はない。


だから今回の劇団ひとり大沢あかねが結婚しようがどうしようがさほど興味はない。毎度のことだ。けど、彼らの恋愛に興味がないだけで、彼らそのものには興味がないわけではないから、悲しいかな彼らの結婚会見を見てしまうわけです。


結婚会見ですから二人とも幸せそうです。そしておめでたいことですから、周りも基本的に祝福ムードだ。当たり前である。けど、自分はどうしてもこういうことが言いたくて仕方ないんです。ダメな人間だと分かってます。無粋な人間だと謗られても仕方ないです。けど言わせてほしい。


なんだあの大沢あかねの勝ち誇った顔は。


大沢あかねの会見中の顔を見ただろうか。なんか「私今全力で幸せです」という成分が80%なんだけど、残りの20%で「オマエら、羨ましいだろ」というちょいとばかり勝ち誇ったような表情が混じっている気がするんです。いや大沢が元々そういうツラだということもあるかもしれません。けど、なんか大沢がバラエティでちょっと上手いこと言ったときの「どうよ?」という顔に近似している気がしてなりません。


これで相手が例えば小栗旬とかだったらなんとなく分かるんです。あの大沢あかね小栗旬を捕まえたとなれば、そりゃ大沢は「どうよ、私の夫は小栗旬だぞ」という顔になっても腹立ちはしますけど「まあ、そういう気持ちにもなるわ」と思ってしまう気がするんです。けど、大沢あかねの相手は劇団ひとりですよ。劇団ひとり。本名川島省吾。芸人としても作家としても才能のある素晴らしい人間であることは否定しませんが、大沢に「どうよ、私の夫は劇団ひとりだぞ」という顔をされるようなレベルではないだろとは思うわけで、それなのに「どや顔」をしてしまう大沢に無粋なこととはいえ「ああ、不幸になればいいのに」と願わずにいられない。


大人の方であれば「他人にとっては「たかが劇団ひとり」であっても、大沢にとってみれば「こんなに素敵な劇団ひとり」なんだから、そのくらいのどや顔をしても許してやれ」と思うのでしょう。けど自分は子どもだ。子どもマインドだ。そんな大沢の「ムダに不遜」がどうしても許容できない。


結婚相手である劇団ひとりの立ち位置を必要以上に高い位置におき、世間とズレて認識していることに気付かずこっちに余計な嫌悪感を持たせるという構造が、「自分は子どもたちのカリスマモデルだった」という認識を捨てられないまま自意識が肥大し、自己評価と世間の評価がズレているのにムダに高い自己評価を主張することでこっちに余計な嫌悪感を持たせるという「大沢あかねに対する嫌悪の構造」そのままであるのが腹立たしい。結局は大沢あかねのメンタリティが腹立たしいということになるのか。そりゃ素直に祝福できん。