パイの大きさは同じなのに

見てないんですけども、19日に放送されたTBSのドキュメンタリー「復活の日」で大沢樹生が息子の聴覚障害を告白したようだ。


大沢の息子とはおそらく最初の妻であるところの喜多嶋舞との息子だろう。毎度お馴染みwikipedia(タイムスタンプは日本標準時じゃないよ)によれば離婚直後は喜多嶋に親権があったようだが、今は大沢のもとにあるんだとか。そこらへんの事情が今回告白に踏み切らせたのではないかと思う。ただ、今井絵理子が元夫175RのSHOGOに息子の障害を公表することを知らせておらず、SHOGO不本意であることをブログで表明したように、今回大沢が喜多嶋にこのことを話したのかどうかは少し気になるところだ。番組中で触れたのだろうか。


なんか10月に入ってからドキュメンタリー番組が増えたせいか、こういう芸能人の障害持ちの子どもの話題だったり、テレ朝「報道発ドキュメンタリ宣言」が長門裕之による妻南田洋子へのいわゆる老老介護の様子を追ったりと、芸能人がハンディを抱えた身内をさらす機会が増えている。これっていいことなのだろうか。


短絡的に「金の為に身内を売っている」という考えではない。ドキュメンタリー番組が介護の様子や障害を持った方を取り上げることで世間の関心は少なからず向くわけで、結果的に視聴者である我々の意識が向上すれば、ゆくゆくは福祉の充実に繋がる。特に芸能人となればその注目度も格段に上がるわけで、取り上げられることを非難することは出来ないだろう。


しかし気になるのは、出演している芸能人が、単に番組の本数が増えたから取り上げる対象も増えただけのようにしか今のところ思えないこと。例えば大沢は1 年前に今ほどドキュメンタリー番組がない状態で息子の障害を告白しようとしたら、どこかの番組が取り上げただろうか、という疑問が残る。バラエティ番組の考えと同じで、他とかぶっていない出演者を探したら次から次へと出てきたという印象が拭えない。このあり方って「悪い」と断言は出来ないけど、何か危ういものは感じる。ドキュメンタリーのバラエティ的安売りが、結果的に「視聴率の為に取材相手を弄んでいる」という評価に繋がらないだろうか。


評判も高かった長門南田夫妻を取り上げた「報道発ドキュメンタリ宣言」の初回視聴率が20%を超えたことは記憶に新しいが、これ以外のドキュメンタリーや「報道発」の2回目以降も、さほど数字は伸びていない。最初からドキュメンタリーに高視聴率を求めるのは酷ではあるので拙速にテコ入れということはないだろうが、仮に視聴率を伸ばそうと考えたなら、あちこちでスキャンダラスに芸能人の身内のハンディを取り扱うようになりはしないだろうか。不安でならない。


いくら番組数が増えようともドキュメンタリーに興味を示す層は一定であるし、また扱うネタ(特に数字の取れそうな大きなネタ)は限られている。分け合うパイの大きさは同じなのに、そんなに多くの番組が扱うようになったら、そりゃ今まで扱っていなかった怪しげだったり粗悪だったりするパイにも手を出しかねないつう話ですよ。結局誰も得しない結果になる。


わずか1ヶ月あまりで次々出てきた芸能人たちの告白に、「今までみな公表せずにきたんだなあ」と思うとともに、こうもまあ次々と堰を切ったように出てくるもんだという、何ともいえないもやもや感が自分の中にあるのを否定できない。