なんか許せる

「人生が変わる1分間の深イイ話」のSPが放送されてました。


番組タイトルそのままに、視聴者や芸能人が投稿した「深くてイイ話」、略して深イイ話が1分のVTRで放送され、それをスタジオの芸能人が「深イイ話」なのか「う〜ん」なのかを判定するというもの。スペシャルコメンテーターという肩書きの島田紳助がいわゆる「素敵やん」な話を募っているわけで、司会ではないのだが(一応司会は羽鳥アナ)番組を回している。


日テレは「週刊ストーリーランド」の時といい、視聴者に「いい話」を投稿させるのが好きなようだ。ただこの番組のユニークなところは「オリジナルないい話」ではなく「どこどこにこんないい話がありました」という、「いい話の紹介」がOKというところ。出典がはっきりしている。


例えば「トリビアの泉」も視聴者投稿モノであったが、間違いなく全ての投稿に「元ネタ」となる何かがあるけども、手柄は投稿者のものとなる。この点で「あいつは〜〜をパクった」などという誹謗がなされることもある。しかし「深イイ話」のやり方だと、「深イイ話」の投稿者とともに元ネタが紹介されることで「パクリだ」といわれる心配が全く無い。


ま、そんなシステムの話なんてどうでもいい。この番組の核は「こういうものを見て素直に「いい」と思えるかどうか」という、比較的好き嫌いがはっきりと分かれる番組内容にあると思う。「いい話を立て続けに聞かされることに何の面白みがあるというのか」と思うひねくれ者から、「いいやん、めっちゃ素敵やん」と思う人までさまざまだろう。


自分が前者か後者かと尋ねられれば間違いなく前者である。そして、こういう感覚を持っているのは何も自分だけではなく、結構多いような気がする。だからこそ「めちゃイケ」で「寒イイ話」だったり、ケンドーコバヤシのラジオで「浅よくない話」という元の企画をバカにするようなパロディが生まれる。いい話をそのまま「いい話」として放送されることに「え、それは面白いの?」という疑問を抱くのはごく自然な話だ。


だから自分としても、この番組を「いやあ面白い番組だ。つい毎週見てしまう」なんて書くわけがないし、事実毎週見てない。「やりすぎコージー」見てる。けど、見てみると「そんなに悪くない」という意見なのもまた事実だったりする。


なぜか。おそらく「深イイ話」の脱力すぎるテーマソングのせいだ。


番組を見ている最中は流れないけども、提供クレジットや番組最後に流れるテーマソング。ダイアモンド☆ユカイの歌声で聞こえる「♪深イイ話〜」というマヌケすぎるテーマソングは、今まで散々聞かされた深イイ話を小馬鹿にするような、妙な味わいがある。こいつのおかげで後味爽快なのだ。


そもそも「深イイ」という造語がマヌケであるということを今更になって誰も指摘できないだろう。自分も今更指摘するのも気が引ける。しかしあのテーマソングが高らかに「♪深イイ話〜」と歌い上げてくれることにより、「深イイ」という言葉の滑稽さが褪せることなく鮮やかに保存されている。いつ聞いても滑稽。これは結構大事なことだ。


そして変にバラード系の曲ではなくポップな仕上がりになっているせいで、「所詮深イイ話なんてのはこんな歌であしらわれるほどの存在価値でしかないんだよ」と言われているような気がする。自分だけかもしれんが。だが、それがいい。番組で「深イイ」と認定したはずなのに、テーマソングがその認定をバカにしている節すら感じる。


こういう番組価値を自ら否定して相対化するやり方ってのは嫌いじゃない。ただ、自分が勝手にそう思っているだけで、番組側としてはあのテーマソングひっくるめて「素敵やん」だと思っている可能性は非常に高い。だとしても自分はそのマヌケさ加減をひっくるめて好きかもしれない。自分の感覚からすればあんなマヌケなテーマソングを本気で「素敵やん」なんて思えないですから。