踏み越えた

NHK「カンゴロンゴ」を見た。


平幹二朗扮するカンゴロンゴなるじいさんがその名の通り漢語や論語もしくはその他の漢文の書物の引用でもって困っている人に救いの手を差し伸べるという、まあいかにもNHK的な教養バラエティとでも言うのだろうか。平幹二朗の大仰なコスプレ含めていかにもNHKらしい。


カンゴロンゴの娘に夏川純、夏川と一緒にラーメン屋を切り盛りする店主が有吉弘行、その常連客がダンディ坂野と、微妙に旬な人(有吉)と微妙に旬を外した人たち(夏川・ダンディ)が出演するというこれまたNHKらしい人選。ちなみに褒めている。このズレ具合がNHKがNHKたる所以であると。


いまや有吉は「悪口あだ名」というジャンルにおいて他の追随を許さない。猿岩石の絶頂期から暗黒時代を経てモノマネで復活の兆しを見せ、そして今悪口あだ名で完全に復活。すなわち今有吉=悪口(決してあだ名にウェイトがあるわけではない)と言ってもいいぐらいだ。にも関わらずこの番組で有吉に与えられた役割は「常識的な進行」である。


今回の放送は「悪口は蜜の味」というテーマであり、悪口が巡り巡って自分のところに戻ってくるという話が含まれていた。この話を進行させるために有吉が悪口に関して咎めるような発言をしているのを見れば、これはもう何かそういう赴きのコントをやってるんじゃないかと勘違いしてしまうくらいに見ているほうは尻の穴が痒くなる。無論一番痒かったのは有吉本人のような気はするが。


そんでもってネットの中傷という話題では、有吉の隣にいた夏川純が一切発言できない。有吉ダンディは「一発屋」ということで叩かれるけども、夏川の場合は「年齢詐称」という否定しようのない事実で叩かれるもんだからそこに持ってくるべき言葉がないんだもの。こういうテーマを夏川にやらせることが酷だ。わざとなんだろうか。


ただまあこれらは、今から自分が書く事に比べれば瑣末な話でしかない。今日の本題はイジリー岡田がNHKで高速ベロを披露したことである。



イジリー岡田は自分のようなギルガメ世代にとって神にも等しい存在である。


たとえ「アメトーーク」の楽屋訪問で女性アイドルに気持ち悪がられても、唯一無二の変態テクニックは誰も真似できない至高の芸である。これを見て「気持ち悪い」と思うのは当然であり仕方のないことだが、その一方で何者にも変えがたい笑いを自分のような人間に提供してくれる。しかし、このイジリーさんの至高のエロ芸はあくまで民放の深夜にいるからこその「至高」である。


何度も書いているが、民放局のエロ基準なんて本当にいい加減だ。乳首はダメだがあえぎ声はOK。乳首はダメだけどイジリー岡田はOK。はっきり言って歪んでいる。自分の基準からすれば乳首よりもあえぎ声やイジリーのほうがエロい。イジリー岡田がOKで乳首がNGの意味が分からないだろう。本来ならイジリー岡田は地上波で乳首がダメなら同様に抹殺されるべき存在ではある。但しイジリー岡田がタレントである以上、モノマネタレントとしてのイジリー岡田は存在が許されると考えるのが妥当。


しかしイジリー岡田の高速ベロ芸はどうだ。あんな卑猥なもの本来なら地上波で放送していいはずがない。ただ、神の神芸を後世に残すためには、民放の深夜にのみ放送が許されるべきだと自分は考える。だからイジリー岡田の高速ベロは地上波民放の深夜でしか見てはいけないものなのである。公共放送であるNHKが放送なんてとんでもない話だ。


にも関わらず、今回NHKは「カンゴロンゴ」においてイジリー岡田の高速ベロ芸を放送してしまった。ラーメンブロガーとして登場したイジリーは「自分も神の舌を持っているんです」と言って高速ベロを披露。おそらくNHKが初めて高速ベロを放送した日であろう。もちろん何の性的ないやらしさがあったわけではない。しかし自分は「高速ベロ」とう芸そのものがNHK不向きであると考える。


以前にも何度か書いているが、「視聴者のニーズに応えた番組を作る」ことと「視聴者・視聴率に迎合した番組を作る」ことは似て非なるものだ。前者は「視聴者の意見を取り入れて、より面白く求められる番組を制作する」ことであり、後者は「視聴率が取れるように民放の手法を模倣して番組を作る」ことに他ならない。


最近視聴率的にも番組のクオリティでも評価されているNHKの番組は前者の番組だ。しかし最近のNHKの番組はどうにも安直に「民放のマネをすればよい」と思い込んでいる番組が増えてきている。これはひとえにNHKが本来民放にのみ関係している視聴率という指針を「視聴者のニーズ」と捉えて参考にし始めたことが原因だ。


確かにイジリー岡田の高速ベロ芸は面白い。一部では嫌悪をもたれているが、面白いものは面白いのだから仕方ない。しかしあの高速ベロ芸は披露する場所を選ぶ。少なくともNHKという場所で放送すべきものではない。今回高速ベロ放送を決めたカンゴロンゴの制作スタッフは「NHKでもイジリー岡田が高速ベロを披露できるようになったのは、NHKが進歩した証拠だ」くらいに思っているのかもしれないが、それは違う。ただ単に民放の基準に擦り寄っただけで、とても評価出来るものではない。


もちろんイジリー岡田が悪いわけではない。イジリー岡田が芸人である以上自分の出番が来ればサービスをするし、出来る限りのことをする。高速ベロの部分を放送するかしないかはNHK判断なわけで、これを放送していいと判断したほうが悪いに決まっている。


当たり前のことを書くが、NHKは民放ではない。だから民放の基準をNHKに持ち込む必要はない。イジリー岡田の高速ベロ芸が民放の深夜で放送しているからといって、それをNHKの深夜といえども放送していいということにはならない。そこらへんNHKは公共放送のマナーと節度、そしてプライドを持つべきじゃないのかね、と思う。NHKは今回のイジリー岡田で踏み越えてはいけない一線を踏み越えてしまったのではないだろうか。