謎はすべて溶けた

「33分探偵」を見る。


「エンドリさん」こと堂本剛が主演のドラマ。自分からすればいまや「堂本剛主演」というこの文言だけで厭な予感(椎名林檎風)がするのだが、ドラマの中身も「別に謎でもなんでもない事件をどうにか33分間(=45分ドラマの実質放送時間)持たせるためにハチャメチャな推理を展開する」という、これまた厭な予感(椎名林檎風)がするドラマ。


そして実際に見た感想は、見る前から抱いていた厭な予感(椎名桔平はそんなこと言わない)を軽く凌駕する「物凄く厭なドラマ(椎名純平椎名林檎の兄貴)」だった。見る前からそれなりの覚悟はしていたつもりだったのだが、いやいや覚悟が足りなかった。にしおかすみこの芸人としての覚悟くらい足りない。


さっきから「厭な予感」という言葉を使うたびに椎名林檎やら椎名桔平やらカッコ書きで鬱陶しいなと思ったアナタ、正解である。書いているほうは「面白いでしょ」と思って書いているのだろうが、読んでいるほうからすればちっとも面白くない。「33分探偵」とはまさにこういう小さなネタを我が物顔で披露しているドラマといえる。


「トリック」以降こういうドラマって面白いでしょ(あるいは面白いだろ)と思っている人が作り手にも視聴者にも増えたようだが、ああいうのはやり方を間違えるとちっとも面白くないわけで、なんというかしんどい。正直しんどい。こういうこと書いてしまう自分もあまり他人のこと言えたもんじゃないんだけど。ただ、確信犯的に「面白いだろ」の押し付けをこのドラマからはビンビンに感じる点がやっぱり我慢ならない。


バラエティ番組を見た感想として「くだらない」という言葉を使うことがある。大概の場合「こういうしょうもない企画を真剣にやるとはなんてくだらなくて素晴らしいんだろう」という賛辞としての「くだらない」である。しかし「33分探偵」に対して漏れる「くだらない」の感想は、もう字面のままストレートに貶す意味での「くだらない」だ。「くだらなくて素晴らしい」を狙っているのが分かるが、それが全然感じられない「くだらない」だ。


発想としてはそんなに悪くないと思っている。昨今のドラマは原作モノばかりで、1クール10回前後に収めるのに苦心するという話がある。長いものを短くするのも取捨選択が大変だろうが、それより大変なのはそれほど長くない原作をどう10回前後に間延びさせるかのほうが大変だろう。「原作にはないオリジナルエピソードを挿入」とかいう言葉で誤魔化してはいるが、それは結局1クール原作どおりにやったのでは持たないということを最初から白状しているようなもんだ。


そんな「短く済むものをどう長く持たせるか」というジョークから生まれたのがこのドラマのコンセプトなのだろう。1クールの尺ではなく、45分(実質33分)という時間をどう間延びさせるかというドラマの内幕暴露の発想からドラマが生まれるのはいいことだと思う。しかしそのドラマの内容が劇的にキツいのは、「間延びさせるだけしょうもない」をドラマの身を持って証明しているだけに過ぎない。そんなもんは既存のドラマを見ればいいだけで、このドラマが生まれた意味が見えない。


しかも最近では「1クール」という概念が薄れつつあり、番組改変期をずらしたドラマや、短い回数で終わるドラマも登場している。同日に始まったTBSの「恋空」は全6回。「ROOKIES」の終了がズレこんだのと北京五輪中継という事情もあるだろうがそれよりもあんな薄っぺらい(中身ではなくあくまで分量。中身もだろうが)小説を10回前後も間延びさせられねえよ、という正直な編成だと思う。それでも自分からすれば「6回もやることあんのか?」と思ってしまうが、それはともかく「何も無理に間延びさせる必要はない」が今のドラマの流れとなりつつある中で、このドラマは完全に浮いている。


それでも「間延びさせるのが面白いんだ」という中身であればいいんだろうが、それが言えないほどにつまらないのだから仕方ない。変わったことやろうという意義は買うけど、その意義を意味に昇華できないのでは褒められたもんじゃないなあ、と至極まっとうな感想を書いてしまう自分がここにいる。それとも「意味なんかないんだ!」と開き直られるんだろうか。それはそれで鬱陶しい。


あ、佐藤二朗と野波真帆のエロでんじろうコーナー(と勝手に名付けてみた)はちょっと面白かった。あれだけ深夜の15分枠とかで放送してほしい。