デトックス

最近またテレビで見るようになった羽野晶紀を見て「なんか居たたまれない」と思った時点で羽野の思う壺、説。


すっかりお騒がせ狂言ファミリーとなった和泉家であるが、そもそも和泉元彌は「狂言界のプリンス」なんて言われていた人であり、そこに嫁いだ羽野は嫌な言い方ではあるがいわゆる「勝ち組」とされていなかっただろうか。少なくとも当時はそのような印象があった。それが今では様々な騒動に見舞われたキワモノ一家になってしまった。今じゃ誰も羽野のことを勝ち組だなんて思わないだろう。


そんな羽野が昨年末あたりから仕事に復帰し、今年に入ってからテレビで見る機会も増えてきた。仕事の復帰に関しては「和泉家との訣別では?」という見方が強いが、番組中で羽野本人がネタにして否定するなど、とりあえずは別れないというていで活動は続けている。しかしこれも川粼真世・カイヤ夫妻と同じで、ネタに出来るほど公然のダメ状態ということなのかもしれない。こんなもん部外者以外の何者でもない自分に知る由はない。


羽野が離婚するかどうかはとりあえず置いておいて、復帰した羽野をテレビで数回見て思ったのは、以前の羽野からは漂っていたことがない「なんだか分からない負のオーラ」が半端ではないということ。結婚する前は喋り方に特徴のある女優さん、程度のイメージであり、特に世間ズレしていたり負のオーラを背負っていることはなかった。しかし今テレビの中に登場する羽野は間違いなく見たものをどことなくがっかりさせる負のオーラを背負っている。和泉家という特殊な磁場が働いている空間で長いこと過ごせば羽野でなくとも誰しもがああなってしまうような気もするんだけど、その毒され方はちょっと強烈だ。


この負のオーラが漂う羽野を見れば、大抵の人が「ああなんか色々と大変なんだろうな」と思うはずだ。羽野本人が変質してしまったというよりは、羽野が過ごした環境の奇異さが羽野をそうさせた、という印象を持つのではないだろうか。恣意的な言い方をすれば、羽野は和泉家に毒されてしまった被害者である、というイメージを視聴者に与える。本来は毒される覚悟で入籍をしているわけだから羽野にだって責任はあるんだけども、それでも彼女はやっぱり「被害者」的な雰囲気を今の羽野は出しているような気がする。


ここまで読めば賢明な読者諸氏は「これは羽野が自分を今後芸能界で復帰させるための演技であり、離婚してもひとり立ち出来るようにするための布石である。だから、彼女の演技に騙された時点で羽野の思う壺だろう」と自分が書くこを予想するかもしれない。実際最初はそう書こうと思っていた。


しかしこれを書いているうちに気が変わってきた。負のオーラ漂う羽野は別に演技でやってるんじゃないと思えてきた。そうではなく、おそらく羽野は和泉家で溜め込んだ毒素をテレビ出演によって解毒しようとしているんじゃないかと思うのだ。しかも、その毒を視聴者になすりつけることによって、である。


今まで羽野に漂っているなんだか分からないがっかり感を「負のオーラ」と表現したが、おそらくその正体は「和泉家で溜め込んだありとあらゆる不満やストレスの塊」だろう。どう考えても異質な環境に飛び込んだ羽野がこの数年間に溜め込んだストレスはいくら慣れていくとはいえ甚大なものであることは想像に難くない。この溜まったストレスや不満が、羽野の中で蓄積し変質し、結果毒素として羽野の体内に刻み込まれていく。その毒素を溜め込んだ状態で今の羽野はテレビに出ているんだろう。


本来溜まったストレスは原因に対する不満をぶちまける、つまり和泉家の悪口を言うことで解消されるのだが、いまだ和泉家の人間でもあるし、また長年の蓄積はそのような批判をストレートに吐き出すことを許しはしない。だからこそ羽野の体内で変質した歪な形で毒素となっていて、その吐き出し方はストレートな悪口という形で噴出せずに、「なんだか分からないけどがっかりさせる感じ」として羽野から放出されている。その結果が今のテレビの羽野じゃないだろうか。思わず「何なんだ羽野晶紀」とテレビの前で自分に呟かせる毒素。


そんなはた迷惑な毒素を羽野が放出する理由。これはおそらく「不幸のお裾分け」なんだろう。私だけがこんなに不幸なんてちょっと不公平じゃない?だったら世間の人にも自分の不幸を少しでもお裾分けしてやる、と本人が思っているかどうかは定かじゃないが、知らず知らずのうちに不幸を他人に伝え放出することで自分の不幸を発散したいのだろう。悲しき防衛本能だ。もしくは確固たる「お裾分け」の意思があって、意図的にテレビで不幸を放出しているのかもしれない。こうなるともう修羅の域に達しているが。


ここで大事なのは、我々視聴者は羽野の放出する不幸を受け取る義務は全くないこと。世間の好奇の目に晒されてきたんだから、今度はその不幸を我々に熨斗をつけて返す、ということなのかもしれないけど。それはともかく、導き出されるべき結論は「我々は笑顔で彼女の放出する不幸を無視すべきだ」である。間違っても彼女を見て「居たたまれないなあ」などと思ってしまってはいけない。それは彼女の不幸を自分なりに受け止めた証拠であり、不幸のお裾分けを頂いたことになるのだから羽野の思う壺だろう。