戻って来い眞鍋かをり

自分は眞鍋かをりがクイズ番組に戻ってくることを願っている。

ひところ眞鍋はクイズ番組によく出演していた。それは彼女がグラビアタレントからテレビタレントへの移行期を過ぎつつあり、大学も卒業して一区切りという時期だった。おそらく眞鍋サイドとしては彼女の次の売り出し方を模索していたのであろう。グラビアでのナイスバディも去ることながら、国立大学出身の才女である彼女にとって、クイズ番組というバラエティに活路を見いだそうという選択はごく自然なものといえる。

しかし、ここに誤算が生じた。眞鍋はクイズが不得手だったのだ。

以前この駄文でアタック25の女子アナ大会について書いた時に、いわゆる学力的な偏差値とクイズの能力は一定程度までの連関はあれども究極的には関係がないという説明をしたことがあるが、眞鍋かをりにもそれが当てはまるようだ。眞鍋は決して頭が悪いわけではない。しかし、彼女はクイズには向いていなかったのだ。世間はクイズと偏差値を安易に結び付けてしまうようだが、偏差値が高ければクイズが出来るのではなく、結果的にクイズができる人間の偏差値が高い場合があるというだけだ。偏差値はクイズにとって必要条件ではなく十分条件である。

そんなことに眞鍋サイドが気付くことがないまま、眞鍋はあらゆるクイズ番組に駆り立てられるようになったが、出る番組出る番組玉砕していった。眞鍋がバラエティとしてのクイズ番組にて求められている役割は「インテリ」であるのにも関わらず、眞鍋の正解率はてんで低く、その期待されていた役割をまっとうすることなくクイズ番組への出演が減っていったのである。

だが、自分は眞鍋がクイズ番組を去るのには惜しいと感じている。

なぜか。確かに眞鍋は「クイズが出来る」というキャラクターとしての期待は裏切ったかもしれない。しかし眞鍋はその裏側に「クイズができそうだけども、実は出来なくてその出来ないことに対してスネる」という非常に魅力的なキャラクターを有していたのだ。誤解を恐れずに言うならば、眞鍋のクイズの成績が不本意でスネたようなふてくされたような、それでいて自分に対して腹立たしいという感じのニュアンスを含めた表情は、滑稽であるがそれでいて美しくステキなのである。

彼女はおそらく負けず嫌いなのだ。だからこんな表情をする。負けず嫌い日本代表に菊川怜という女性がいるが、彼女ほど闘志を剥き出しにするわけでもなく、テレビ的にOKな表情なのだ。その表情といい、雰囲気といい、自分の何か奥底の感情を捉えて離さないのである。

もちろん、こんな愚論を打ち出しているのはお前の妄想に過ぎねえとかお思いでしょう。まあ、そう言われると反論の術がないのだが、出来ることならこの表情をひとりでも多くの人に見てもらいたい。ていうか自分が見たい。だからこそ自分は眞鍋かをりがクイズ番組に出演し、うちのめされる姿が観たいのである。少なくとも東大卒でクイズも得手であるが、顔の調子が優れない六條華なんて見たくはないのだ。