さて、問題だ

ヤホーをだらだら読んでいたら、「クイズ王」こと伊沢拓司のこの記事を目にした。あんま他人の「書いた」ものについてはああだこうだ言わないつもりではいたのだけど*1、少し、というかかなり気になった点があるので、今回はクリスマスイブだというのにちょっと書いてみたい。


まずお断りしておくが、伊沢氏の記事は「クイズ好き」でなければ、とても長くて読めたもんではない。ある程度クイズ番組の歴史に関する知識がなければ話を追うことが出来ない。そして無駄に長い。もちろん長いことが悪いことではないけど、こんな長い文章を興味のない人は読めないし、読まない。誰に向けて書いているのかちょっと分からない。ただ、この後自分が述べる話が伊沢氏の書いた文章に対する適切な文句になっているかどうかを確認していただくためには原文を読んでほしいのだけど、とりあえず読まなくてもいいように話を進めてみる。


一応の確認事項としては、伊沢氏は文章冒頭で「自称クイズ王」なんて言っているが、紛れもないクイズ王。「知の甲子園」時代(ここでは「クイズオタク高校生どや顔選手権」時代と呼んでいるけども)の高校生クイズを2連覇したのが伊沢氏だ。これからの話は「伊沢氏はこの輝かしい実績に自信と誇りを持ちまくり」だということを頭の片隅に置きながら読み進めてほしい。


話のメインは「今年の高校生クイズ、なんかおかしくない?」というもの。伊沢氏は

過去と同じ「形式」なのに、過去と違う「出演者」と「問題」が並んでいたことによる強烈な違和感

と表現し

その違和感の原因を「相反する『クイズ番組の2大要素』のハイブリッドに挑戦した」ことに見出した

として、以下長々とこの仮説の説明をしている。簡単に言えば「形式は昔の高校生クイズを踏襲してるのに、なんか問題は中途半端に難しい。これはなぜ?」つう話を、クイズ番組の分類と歴史から理由を解明しようとしている。もちろんそのこと自体は悪くない。クイズ番組の分類自体はその通りだと思うし、クイズ番組の歴史に関してもしっかり押さえられてはいる。こういう考え方があってもいいのだろう。


しかし自分はこの仮説に全く賛同しない。理由は簡単。「今の高校生クイズは昔の真似事をしているだけで、ポリシーなんてものはまるでない」からである。言い切ってもいいよ。過去の自分の文章(20172016)でも何度も書いている。上っ面だけ真似して中途半端になってるだけ。問題が過去より難しいのもその通りだけど、それは簡単に言えば「クイズ研究会方面にもいい顔するため」でしょ?


なぜ過去のエンタメ路線を今踏襲するのか。それは「参加者が激減していて、そうでもしないと番組として成立しない」からだ。言い方は悪いが「番組に参加してもらうために、海外旅行を餌にしている」だけ。2人1組になったのも「少しでも参加へのハードルを下げる」ためでしょう。


昔いたライトユーザーにも、残ったヘビーユーザーにもいい顔したくて、結果中途半端。いかにも日テレらしい発想だけども、それが上手くいっておらずに誰からも不満が出ている。それだけの話だって。クイズ番組の未来を見据えているのではなく、ただ今は自分たちの番組の存続という未来しか見据えていないとっても小さな話じゃないのか。まずそこらへんのはき違えが気になる。


そしてそもそもの話になるが、なぜこのような事態を招いたのかの認識が自分とはまるで違う。高校生クイズがこのような形式を取らざるを得ない理由、それは参加者が露骨に減ったからだろうよ。参加者激減となったのは「クイズオタク高校生どや顔選手権」時代に、「思い出づくりに参加しようぜ!」という高校生のライトユーザー層を全て遠ざけてしまったせいだ。少子化のせいになんてしないでほしい。その原因となった時代に活躍していた、自分のクイズ王の原点である「どや顔」の伊沢氏には、その指摘は分かっていても出来ないんだと思う。分かってなければ大問題だけど。


現行の高校生クイズを「視聴率的には失敗」と断じる一方で、自らが出演していた「知の甲子園」時代の視聴率が最高17.1%をたたき出したと数字を提示する。「知の甲子園時代が番組的にも成功していたのにね」と言わんばかりにだ。記事中でも指摘されているように、高校生クイズは5年一括りという周期があるので、その周期が終わってしまって仕方なく、という意味合いを含んでいるのだろうが、「なんでこんな中途半端な仕上がりにしてしまったのかね」という嘆息を含んでいるんだろう。


伊沢氏はその中途半端な仕上がり具合を「ハイブリッド」みたいな話に昇華させようとしているんだけど、自分からすれば「いやいや、そんな中途半端な形になっているのは君たちが荒らした(正確に言えば彼らに責任はないんだけど)高校生クイズ失地回復作業でしょうが」としかならない。


生粋のクイズマニアには「高校生クイズとは出場するもの」だったのかもしれない。しかし「そうでない人々」によって高校生クイズの裾野が支えられていたことに気づいていたのだろうか。クイズマニアによるクイズ大会はそうではない。しかし高校生クイズだけは別なのだ。知力だけでは勝てないから尊い。そういう側面が少なからずあったと自分は思っている。それはクイズマニアだけではない普通の高校生がたくさんいてこその尊さだろうよ。


文章を読む限りでは高校生クイズの歴史もきっちり押さえられているはずなのに、「視聴率」は見えているのに、なぜ「参加者」には言及がないのか。自分には「自分をクイズ王たらしめた高校生クイズと、そのクイズ王の自分という自己愛が強すぎて、こうなった原因から意図的に目を逸らしている」としか思えないのだが。原因が分かれば結果は自ずと見えるはずなのに。まあ自分はただのクイズ番組好きでクイズ王でも何でもないただの人。本物のクイズ王には見えているものが違うのかもしれない。

*1:テレビに関してはああだこうだ言いまくってますけど