やっぱり、ダメでした

「うたばん」にて、森山直太朗トークを見る。撃沈。

実は森山ナヲタローのトークをちゃんと歌番組で見るのは初めてだったわけですが、思ったとおりに自分としては厳しかった。

ナヲタローのトークは、自分には金持ちの余裕のあるいやらしいトークに思えてダメなのだ。なんだろう、話題ひとつするにしても、「あ、自分は面白いトークもできちゃう、みたいな(ここ重要)」という雰囲気を画面からバシバシ感じちゃうわけで。自分だけだろうか。

ナヲタローは「夕暮れの代弁者」とか「起きぬけの革命化」とか、自分のことをそういう「メッセンジャー気取り」に見せている演技をしている。世間のイメージからあまり乖離していないこの「演技」をするのは構わないと思う。そこを責める気はない。

ただ、その演技をする際に、「自分ってこんなイメージが先行してるんだけど、あ、それって自分が定着させようとしたイメージなんですけど(ここ重要)、本当はあまりそんなこともなくてこんな人間なんですよ〜」という俺ってセルフプロデュースしてるんだぜ感がたまらなくイライラする。

ナヲタローはこの世間のイメージと自分の本来の姿のイメージのギャップを自らコントロールしている(かの錯覚をする)ことによって、自分って歌も歌えるしトークもできるし、謙遜してるけども自分は凄い人間だということを密かにアピールしたいんじゃなかろうか。そんな気がしてならないのですよ。でそのセルフプロデュース、どう考えても間違っているような気がしてならないわけですよ。「所詮俺の手のひらの中でトークは展開されているぞ」と思っているに違いない。大きな誤解なんだけど。視聴者は気付いてるって、オマエに合わせているだけだと。

自分から言わせてもらえばその「セルフプロデュースが決まっている俺はかっこいい」というのはナヲタローの誤解であり、その「間違った才能の見せ方」は徒にこっちの神経を逆撫でするわけで、その間違い方はまさしく「金持ちの余裕のあるいやらしいトーク」に酷似しているのだと考える。

そんなもんで、「ナヲタローのトークは面白い」という風潮は非常にマズいと思います。あんなん日常会話でやられたら確実にワンパン入れたくなる。認めるべき才能は認めるが、認めるべきではない才能はやっぱり認めるべきではない。誰がなんと言おうとナヲタローのトークはダメだ。

ナヲタローの新曲もよっぽど何か言おうと思ったけど、モー娘。の新曲も同程度に酷いんでそこはドローにしとこう。


あ、反論の類は要りません。あっても反論しないでください。その反論に応えるのが面倒なので。あくまで主観ですから。反論のある人はその「反論という自分の主観」を大事にしてくれればいいですから。こっちに自分の意見を押し付けることはしなくて結構です。この文章に関しては裏づけも取ってませんし、真実と違う部分があっても、自分の脳内ではこれが事実なので。