「似て非なる」と思うかどうか

「うたばん」は新年一発目の放送というわけでトークと歌の総集編だったわけだが、その総集編に入る前に新年の運勢を占うとかで、いかにも胡散臭い占い師が揃いも揃ったりで怪しげな占いをしていたわけです。

でまあ、石橋は既に結婚しているにもかかわらず、怪しい占い師の一人が「結婚はもう少し先」だとか、奥さんは鈴木保奈美にもかかわらず「結婚相手は普通の職業の人」だとか、まあ言いたい放題言ってるわけですね。

また、忍者の恰好をした怪しいオッサンは今年のパリーグの優勝は西部と言ったものの、2位はいまやオリックスという球団に変わったにも関わらず「阪急ブレーブス」とこれまたトンチンカンな事を言い出すわけですよ。

これって何が問題なのかといえば、「占いの方法が胡散臭い」という以前に、石橋の個人情報やパリーグの球団名が既に間違っているという時点で占いの信憑性が全く無い、ということに尽きるわけですよ。

ただ、もしこれが石橋の個人情報や、オリックスの名前をびったし言い当てた占いだったらどうだろうか。やっぱり「占いの方法が胡散臭い」だけで、そんなに評価は変わらないのだろうか。

たぶん、世間の見識としては、この質問の答えは「イエス」なんだろう。やっぱり手裏剣飛ばして占ったり、変な動きをして占うよりはタロットでマジメ(を装って)に占ったほうがそりゃ信憑性はあるんだろう。

でも、自分は今日のうたばんでやってた占いも、今なんだか急にまたデカい顔をし始めたH木数子の占いも、そんなに大差はないと思っている。別に神秘的なものを信じないとかいうわけではないが、手裏剣を使おうと、タロットを使おうと、別に「決定的な根拠」があるわけじゃない。いや、タロットをマジメに学んだ人から言わせれば「それは違う」と言われるだろう。しかし、それは「タロットを使う側の人間がタロットに込められた意味を自分たちで定義した」のに過ぎないのであって、例えばトイレットペーパー占いの人が「トイレットペーパーに込められた意味を自分で定義した」のと、実はそれほど変わらないはずである。

ただ、手相などは統計学ですから、少し赴きが違うとだけは述べておく。あれは心理学と同じでデータの学問なわけで、その「傾向」を読み取ることに「決定的」とまではいかなくても、根拠があるわけです。

しかし他の占いはやっぱり「自己定義」のものが多い。そりゃ、タロットとか占星術とかは歴史がありますから、それだけ歴史が持っている信憑性がプラスされるだけのことであって、「占い」という「やっていること」は同じなわけである。それを見た目が珍奇だから「これは怪しい」と思うのは、やっぱり何かに誤魔化されていると思うわけよ。

前述したように、もう占い以前に個人情報などに間違いがあるのは問題外なのかもしれないけども、そうでなければ案外タロット占いとかよりも手裏剣占いのほうが気休めになるのかもしれません。自分にとってはどんな占いも「似て非なるもの」ではなく、「似てるもの」なのです。