愚か

ビートたけしが生放送終了後のTBSで襲撃された」というニュースを聴いたときにはさすがに驚きましたけども、自分には最初から「なんで?」という感想以外に浮かんでこなかったのです。

 

当初は件の生放送「新・情報7days ニュースキャスター」で政治的発言をしたことに対する襲撃か、なんてことが言われていたが、「ふだんから言いたいこと言っていて、そして誰も大した気にも留めていない(と自分は思っている)のに、今さら?なんで?」と思っていた。

 

しかし一夜明けて供述が出てくると「6月に弟子入りを志願して土下座したが、相手にされなかった」ことが理由らしい。

 

なんて愚かな。

 

自分の頭に浮かんだのはたった一言でした。愚かな人間に愚かな理由をいちいち告げていくことほど残酷なことはないが、40代にもなってこんなことする人間は多少残酷なめに遭わなければいけないと思う。可哀想だけどもこの男の何が愚かか、蛇足も蛇足だが説明してみたい。

 

まず、芸能界に入るためにたけしに弟子入りしようと思っているところが完全にズレている。

 

30年前ならいざ知らず、そもそも今のたけしに弟子を育てる余裕もお金もないだろう。一部週刊誌が報道しているようなことが事実であれば、弟子を育てる金銭的余裕も、またその気もないんだろう。自分でもたけし関連の記事を見れば「ああ、なんかちょっとアレだな」と思うわけで、少しでもここらへんの記事を流し見すれば「今たけしの弟子になって芸能界でやっていける」とは思わないだろう。

 

もちろん「たけしに弟子入りする」=「芸能界で成功するためのきっかけ」ではない。たけし軍団とはそもそも「たけしが好きすぎて弟子になってでも近づきたい人たち」なのだから、芸能人として食って行けようがそうであるまいが、弟子になることそのものが大事なのである。この40代の愚か者もそのような志であったならば話は別だ。しかし本人の供述によれば「芸能界に入るためにお願いします」と言ったらしい。そんなんでたけしが弟子にするわけがないだろう。たとえこれが30年前であっても無理。弟子入りを芸能界入りのきっかけとしか考えておらず、たけしに対するリスペクトの欠片もない。たけしが相手にしないのは当然である。そして、この愚か者はそれが分からないから、逆恨みし、襲撃する。そもそもリスペクトしてないんだから当然だ。

 

そして愚か者の行動は同時に「たけしが相手にしなかったことが正しい」ということを自ら証明してしまうのに等しい。だってこんな奴弟子にしてもきっと何かやらかす。たけし軍団も「いろいろやらかしている人たち」ではあるが、たけしに対するリスペクトだけは揺るぎがない。だからこそたけしは今まで「たけし軍団」として彼らを重用してきたのだ。けどたけしに対するリスペクトがない人間は、たけしに対しても何かやらかす。そう、平気で襲撃する。だから相手にしない。たけしが正しい。愚か者はそれが分からない。自分の行動が、憎い相手の正しさを証明していることに気づかない。だから愚かなのだ。

 

そして「襲撃に何のユーモアもない」のも愚かだ。あくまで弟子入り志願者だったなら、襲撃にユーモアくらいもってこいと言いたい。たけしの車を襲撃したのはつるはしらしいが、だったらヘルメットにヒゲで「弟子入り断るなんて冗談じゃないよ!」とやればよかったのだ。あるいは「講談社」とかTシャツに書いていけばよかったのだ。しかしおそらく愚か者はこれを読んでも何のことか分からないだろう。分かっているならやればよかったのだ。読んで分からないのも愚かだし、分かっているのにやらない、やれないのも愚か。もし本当にこの恰好で襲撃してきたなら、出所した後に声くらいかかったかもしれない。それはないか。まあそもそも「たけしに気に入られたい」という発想そのものが最初からないのだから、襲撃にユーモアなんて考えは到底及ばない。

 

「思想的な話でもなんでもない」「ただの逆恨み」で「今芸能界に入るきっかけと考えるにはあまりに先見性がない」うえに「何のリスペクトもしていない」「たけしへの弟子入りを断られた」ことを理由に「何のユーモアもなく襲撃する」「40代男性」に対して、自分が理解できる部分はひとつもない。だからこそ最初から「何で?」としかならないのだ。そんな相手に対して出てくる言葉は「愚か」しかない。

 

最近のニュースは一方的に自分の正義を決めつけ、自分の正義でもってのみ叩くという相手への理解に欠けた言説が多くて本当にげんなりしています。自分もそうならないように気を付けてはいるつもりですが、この事件に関しては「もしかしたらたけしを襲撃しなければならない止むに止まれぬ事情があったのでは?」と考えながら情報を追ったところで、何もない。ただただ理解に苦しむ。意味が分からない。そこが怖い。ずーっと「なんで?」と思っている。