他人事のほうが楽

ソチオリンピックはそろそろ終わるのでしょうか。


いやもちろんそんな事は調べれば分かる話なんですけど、いちいち調べるのも面倒というか、別に知ってても知らなくてもそのうち終わるんだろうという程度の認識であります。ここらへんの書き方から自分がオリンピック中継に対してどの程度の思い入れなのかは察して余りあるとは思います。


こんな書き方はしてますが、別にオリンピックに興味が全くないわけでも「レギュラー放送潰してんじゃねえよ」とか微塵も思っていませんし(10年前なら思っていたかもしれない)、ただ単にオリンピック見てる余裕がないだけで、5時間の時差はなかなか社会人には厳しい設定というだけ。だから積極的に「見よう」とは思わないまでも、やってたら見るし、それなりに楽しんでいるというもの。


で、そんな漠然と見ている自分ですが、今回のオリンピックで改めて気づいたこと。それは「日本人選手が出ていないほうが楽しめている自分がいる」ということである。


否応にもオリンピックには「国別対抗」という意識が少なからず存在する。団体戦なんてのはまさにそのまんまだし、個人だって「日の丸を背負って」という表現がなされるように、「国の代表」という側面が強い。それはいい面、悪い面両方あるだろうが、個人的には「大変だなあ」くらいの印象ではある。やってる選手たちが一番大変で意識しているのは間違いないのだから、外野がどうこう言える話じゃない。メダル噛むのを要求するマスコミもしょうもないが、メダル噛むなとをtwitterで指摘するのもなんか違うとは思う。


見ているほうとしても、やはり自分の国の選手が出てきたらそれが全く知らない競技の知らない選手でもとりあえずは応援してしまう。ごく自然な感情だろう。だからこそ見ていてハラハラするし、感動したりもするもんだ。自分は恥ずかしくてとても言いたくはないが「感動をありがとう」だなんて言葉が出てくる。いや正直スキージャンプの葛西選手には少し感動したのだけど。


そんな感情が有名選手になればその期待値の増幅も半端なものではない。メダルを獲ればフィーバーするし、獲れなかったらそれについてああだこうだ言う。お約束なのだが鬱陶しいのもまた事実。期待を背負う選手というのはいかに大変なことか。ただ、自分はその一方で「期待する側」も大変だと最近感じている。あまりこちらが期待しちゃうからぐったりするわけで、それがなければもっと素直にフラットに競技そのものを楽しめるじゃないかと。


もちろん選手に期待するな、ということじゃない。それはそれで日本人選手に失礼な話だ。そうじゃなくて、変に思い入れがない競技のほうが、テレビとして、中継として個人的に楽しめているような気がしたわけだ。単純に「すげーなー」と鼻水垂らして見ていたほうが楽しい。身内を応援する意識が強すぎて疲れるならば、他人事として超人ビックリ大会的な感じで見ていたい。


それはスポーツそのものの面白さと言い換えてもいいのかもしれない。とかくオリンピックはどうしても自国の選手の成績に目が行きがちだけども、もっと気軽に「スポーツおもしれえ」でいいんじゃないかとも思うのだ。現行の報道が悪いと言っているのではない。自国の選手を応援するためにもあのような報道の姿勢で構わないとは思う。けど、自分はそんな報道にちょっと疲れたかなとオッサンみたいなことを言うのでした。オッサンなんだけどね。