君、泣いてるのか?

安倍なつみさんが出るつうんで久々に「オーラの泉」を見ましたよ。


これの前に「オーラ」を見たのが大泉洋の回で、大泉が江原に「前世はアイヌの長」と言われていたのを見てあまりの安易さに脱力しまくったわけですが、この放送が2007年6月のことですから実に1年半ぶり。正直「まだ続いているんだな」という気分ではある。


大泉に対する「アイヌの長」つう鑑定も「あまりにストレートでもはや婉曲的な繋がりにする気もなし」という意味でかなり雑だったわけですが、今回の安倍に対する鑑定もやっぱり雑。モー娘。のオリジナルメンバー5人はやはり(と書けてしまうあたりが悲しい)前世でも繋がっていたようで、東南アジアのあたりの寺院にいた親を失った子供たちらしい。「あ、そう」としか言い様がない。


家族に対しては物凄く気を遣うけども、歌に関してはワガママを通したという話。まあこれは本当かもしれんけども、モーヲタの間で安倍さんといえば「空気読めない人(悪気はなく悪口を言うタイプ)」という認識であり、そんな人が本当に気遣いをできていたのか怪しいもんです。


一番笑ったのは、安倍が盗作騒動で謹慎中に写経をしていたという話に関し、「それは安倍晴明が世の為人のためとなるような詩を作る勉強をしろと言っている」とのこと。なんだそれ。全然写経関係ないだろ。ただ単に安倍晴明言いたいだけじゃない。


とまあ、「ダウトをさがせ!」よろしく「ダウト!」と叫んでしまいたくなるような箇所がたくさんあって見ていて退屈はしなかったです。スピリチュアルの名のもとに言いたい放題やりたい放題ですから。でもまあ、スピリチュアルに関わる話は割り切ってしまえば案外オモローな心持でやり過ごすことは可能なのです。


でも安倍の盗作騒動に関する美輪の発言はやり過ごすわけにはいかない。


美輪は「寺山修司は色々な書物を読み、色々な文章を記憶し、それらが必要なときに自分の言葉となって出てくる」と発言した。この考え方自体は自分も間違っているとは思わない。しかし続けて「意図的に繋ぎ合わせるのは盗作だけど、そうでなければ盗作ではない。だったら他の文学者もみな盗作していることになる」という旨の発言。これも一般論として間違いとは言い切れないが、この文脈でしていい発言ではない。


安倍が発表した詩は明らかに剽窃である。自分の意識化に眠っていた言葉を組み合わせたら、それが似たような表現になったという代物ではない。美輪はそのようなことを指して「盗作ではない」と言いたいのだろうが、安倍の発表した詩とオリジナルを比べればそんな「たまたま似た」というレベルではないわけで、いかにも「安倍は盗作をやってるんではない」という感じで発言するのは剽窃された人たちにも、そして文学者たちにも失礼である。これはスピリチュアルどうこう関係なく、人間としての見識を疑う発言だ。


オーラの泉」という番組においては「スピリチュアル」といっておけば「(笑)」の文脈である程度は何を言っても済まされるという視聴者との相互理解があるとしてもいいような気はする。まあどれだけの人がそういう感覚で見ているかは分からないが。ただ、それでも番組内での発言が何もかもフリーで許されるわけじゃないだろう。特にスピリチュアルと関係のない部分ならなおさらだ。今回の安倍に対する盗作擁護の発言は明らかに常識を失している「バカ発言」だ。美輪だろうが江原だろうが関係ない。


なんだか見る度に「オーラの泉」は劣化している。そろそろ終わっても良さそうなもんだが、江原美輪の話を聞いて涙ぐむ安倍なつみを見ていたら「ああ、こういう人たちのおかげでこの番組はまだ続いていくんだなあ」と妙な気持ちになりましたとさ。