安定と不安定の間で

更新していなかった間、何をしていたかといえば東京に出かけていたわけです。まあ週末の話ですけどね。


メインは友人の結婚式だったわけですが、念願だった競馬の生G1観戦を東京競馬場で達成するという楽しいことがあった反面、まあここには書けないようなブルーな話も少なからずあったわけですよ。そんな時冗談半分で「レインボーブリッジから飛び降りてやろうか」などと自嘲気味に喋ったりしていたんですが、まさか本当に時を同じくして中年男性がレインボーブリッジから飛び降りたという事件が発生していたとは思わなかった。翌日の報道で知る。


そして東京から札幌に帰ってきたかと思えば、今度は元TBSアナだった川田亜子練炭自殺をしたというニュースが飛び込んできた。絶句である。


なぜ川田アナが自殺をしたのか。詳しい原因は分かっていないが、ここ数日の彼女のブログが精神的に不安定だったことを証明している。精神的に何か(あるいは精神的にキツくさせる肉体的な何か)があったのはおそらく間違いないだろう。んまあ、本当のところなど所詮他人である我々からすれば知る由もないのだけど。


あくまで「テレビで見る限り」ではあるが、自分は川田アナがとてもじゃないけど自殺するような人には見えなかった。いや、もっと正確に言えば「自殺するようなキャラクターではなかった」とでも言うべきか。適度にバラエティのセンスがあって、頭の回転も速い。本人は報道志望でTBSを辞めた原因もバラエティばかりに起用される点にあったような気もするが、彼女の能力を考えればバラエティに起用し続けたTBSは間違っていなかったと思う。それと同時に報道がやりたいがためにフリーアナになるという選択が自分には疑問でならなかった。フリーの女性報道アナなんてあんまり想像出来ない。しかもそれほどキャリアがあったわけでもなしに、だ。


とはいえ、TBS退社後はテレ朝の「サタデースクランブル」の司会に抜擢され、ワイドショーのMCとはいえ一応報道の仕事っぽいことをしていた。フリーになったアナウンサーは退社後すぐ他局の番組に出演しないという暗黙のルールがあるようだが(最近ではそんなこともなくなっているように思える)、そのルールに関わり無くテレ朝の番組に出演できているのは、おおよそ順風満帆と言ってもいいのではないだろうか。


もちろん彼女が仕事上で悩んでいたのかプライベートで悩んでいたのかは不明だ。ただ、仕事に関しては表面上自殺するようなことがあったとは思えないというだけの話。となるとプライベートで何か精神的に不安定にさせることがあったのかもしれない、と邪推するしかないわけである。


しかしまあ、レインボーブリッジから飛び降りたオッサンにしろ、川田アナの自殺にしろ、実際にレインボーブリッジから飛び込まなかった自分とどれほどの差があるというのだろうか。


そりゃ飛び降りたオッサンにしろ川田アナにしろ、彼ら彼女らが抱えていた悩みがどれほどのもんだったかは分からない。それこそ「死にたくなるほど」辛い悩みだったということは、小学生でも思いつくレトリックだとは思うが所詮は小学生程度の精神年齢の人間が書いているのだから仕方ない。ただ、だからといって飛び降りなかった自分が彼らの抱えていた悩みより小さいから飛び降りなかったと断言出来るかといえば、それは実は全く違うのだと思う。


もはや死んだ人の悩みの深さがどれほどだったか知る由はない。仮に彼らの悩みが判明してそれを自分が抱えていた悩みと客観的に比較すれば、それは死んだ人の悩みのほうが深いという判断が一般的にはなされるかもしれない。しかし、ただそれは「死ぬほど」という自殺が及ぼした影響が大きいだけであり、その逆に死ななかった人間の悩みが小さいということにもならないだろう。


別に自分が抱えた悩みが大きかったと言うつもりはないのだけど、かといって死んだ人間の悩みと大差があったとも思わないのである。他人から見たらよくある瑣末な悩みであっても、個人的には重大な悩みだというのは、それは本人にしか分からないし他人に比較もされたくないのだ。それは自殺した人間も一緒だろうが、だったら死ぬという行為で個人の悩みを「死ぬほどの悩み」として正当化してはほしくない。


個人にとって全ての悩みは他人にとっては瑣末であり、そして自分にとってはどれも全て死ぬほど狂おしい悩みでもある。だからこそ「死ぬほど苦しい」という言い訳はしてほしくないし、死んでほしくはない。違う角度から何度も書いてはいるが、やっぱり自殺はいかんのだよ。今回の報道で改めてそう思った。