いても、いなくても


朝まで生テレビ」に田原総一郎がいない。

北海道では金曜の深夜に放送されている「ハロモニ」を見終われば深夜2時。さあ寝るかと思いつつリモコン片手にザッピングしてたら月の最終金曜に恒例となっているテレ朝の「朝まで生テレビ」である。月末に知識人やら政治家やらが結論の出ないおしゃべり(なんて可愛いもんじゃないけど)をしているわけです。元祖しゃべり場

んでまあ、ぼけーっと討論を繰り広げる様子を見ていたわけです。宮台真司は45にもなってまだ助教授なのか、とかどうでもいいことを思いつつ。

半分うつらうつらしながら見ていた、というせいもあるのだけど、途中で自分はあることに気がついたのだ。田原総一郎がいないことだ。

おそらくオープニングで説明があったと思うのだが、見ていないのでわからない。想像するに、きっと年金未納のせいで筑紫(復帰済み)よろしくちょっと遅めの春休みを頂いたのであろう。もちろん別の理由かもしれないが、そこは説明を聞いていないのでわからない。

で、よくよく見たら通常ほぼレギュラーで出演している宮崎哲弥が司会やってんのね。普段は司会の田原総一郎の真正面(つまり司会の向かい側)に座っているもんで、端に座っているのは変わらないんだけど位置が普段とは間逆だったことに全然気がつかなかった。確かにいつもは着ていない背広(って若者はもう使わないと大学の知人に言われました。同い年なのに)を着ていたりで違いはあったんだけど、それに気付くまでに相当時間がかかった。

まあ、宮崎が司会だったのもそうだが、何より「田原総一郎がいない」ことに全く気がつかなかったのだ。「朝まで生テレビ」と言えば田原総一郎なのである。サンデープロジェクトにも出ているが(そういえば紳助と交代したうじきつよしはどうなったんだ)、やはり田原といえばサンプロではなく朝生であろう。だが、そこまで「朝生」のイメージが強いという自分の中の観念があったにも関わらず田原の存在に全く気がつかなかったのは、自分の関心がないという根本的な原因以上に、何か本質的な「田原総一郎は実際あまり必要ではない」という朝生の真実を語っているようにも思える。

ただ、宮崎の司会っぷりが田原の劣化コピーではなく田原以上に田原っぽい仕切りをしていたので、単純に田原スタイルが番組に存在し気にならなかっただけかもしれないが、それにしても本来田原があの番組において「司会」を名乗っているだけで他人の意見をまとめるよりも自分の意見をここぞという場面で押し通す様を考えれば、田原がいなくても気にならない、むしろ田原がいなくても全然問題にならない、つうことである。

熱烈な朝生ファン(なんて存在するのかどうか知らないけども)からすれば、田原の存在は肝なのかもしれないが、別にどうでもいい自分のような人間にとっては田原がいても、いなくても「結局知識人やら政治家やらが結論の出ない討論を夜通しやっている」という大枠は変わらず、田原が及ぼしている影響がいかに少ないかしみじみ思った。

田原ありきの番組かもしれないが、なしでも番組は普通に成立する。これは確かな話であり、同時に2代目の司会は宮崎で決定だろうな。