単純に失礼

アテネオリンピックの女子マラソンの選手にシドニー五輪の金メダリスト高橋尚子が選ばれなかった。

3つの選手枠のうち内定していたひとつを除けば実質ふたつの枠を3人で競っているという状況はさんざん報道されていた通りで、落選の憂き目を見るのはひとりのみだったのだが、まさか高橋尚子がそうなろうとは。

自分は小倉智明のように女子マラソンに詳しくないので、実力やステップレースのタイムうんぬんという情報を比較して誰が本当に選ばれるべきだったのかを判断することは出来ないけども、単純に高橋尚子は入れておくべきだったのではないかと思う。

なぜなら、高橋尚子は実績の点において文句のつけようがないし、何よりスターからだ。シドニー五輪で金メダルだし、破られたとはいえ世界最高記録を保持していた。そんな彼女を落選させてしまうという感覚が自分にはわからない。

昔、日本がサッカーのワールドカップに初出場したときにカズこと三浦知良が代表メンバーに選ばれなかったわけであるが、それと似たような感覚がある。なんだろう、確かにこういう世界がかかった舞台では当然活躍してくれることが一番のような気もするんだけど、結局のところ結果を重視したところでその試合なりマラソンなりを見て我々日本人が感動を消費するのが目的なのである。だから、実績も大事だがそれよりも感動を優先させるべきなのだ。記録なんてさほど大事じゃない。ただ単に勝てば盛り上がるだけの話。負けても盛り上がる術はあるのだし。

そりゃ勝つに越した事はない。勝てば盛り上がる。けど、実際のレースでは必ずしも勝てないという前提があるからこそ、それを補うための「スター」が必要なんだろう。スターは勝っても負けても「スター」であるから、そこに「感動」が生まれる。その感動を見ているこっちが消費されればそれでOKなのだ。

スターじゃない選手には「勝つ」ことしか許されない。勝たないことには見ているだけのこちら側は納得しない。けどもスターは違う。勝てば勿論、負けるにしてもその負け方によっては充分に感動を呼び起こすことが可能なのだ。また、誰でも不甲斐ない負け方が当然許されないのだが、スターはなかなか不甲斐ない負け方をしない。だからこそのスターなのだ。

カズもQちゃん(とはあまり呼びたくない。恥ずかしいから)も紛れもないスターなのだ。だからこそ選ばれるべきだったのであり、彼らを選ばなかったことを評価してはいけないのである。これで女子マラソンはオリンピックで金メダルを取る以外に言い逃れは出来ないことになってしまった。だって、たとえ銀メダルを取ろうともこう言われるに決まっている。「高橋尚子なら金メダルを取れたかもしれない」と。実際一度取ってるんだし。

スターがスター足りえるのには理由があるのであって、そのスターを引き摺り下ろすようなことを内部からやってはダメなのだ。単純に失礼である。


なんてことを書いてみて高橋尚子を擁護してみたものの、記者会見での小出監督がかなりの面白だったのでもはや自分の中ではどうでもよくなってたりして。