戯言・ザ・CM

最近気になるCMがふたつほど。

ひとつは「アミノ式」のCMである。「♪燃焼系〜燃焼系〜ア〜ミノ式〜」のBGMでおなじみのこのCMであるが、衝撃のデビュー作「回転少女」からはや5作目。今回は逆立ちをしながら犬の散歩をするという珍技を披露してくれてるわけであります。

まあその珍技などはどうでもよく、よくよく耳を澄ませてもらいたい。BGMの歌詞の一部に変化が起きていることはご存知だろうか。

前作:「こんな運動しなくても〜」
今作:「こんな運動したくても〜(ムリ!)」

と、変化したのである。文字としては一字違いなのだが、これが意味としては大幅に異なる。

前者:こんな運動はしたくても出来ないんだけど〜、そもそもする必要がないんだよね。それはアミノ式を飲めば脂肪を燃焼させるからであって・・・(以下略)

後者:こんな運動出来ればしたいんだけど〜、やっぱり無理じゃないですか。でもその代わりにアミノ式を飲めば脂肪が燃焼するし・・・(以下略)

とまあこんな感じである。結論として言ってることは変わらないのだが、その行き着くプロセスが微妙に異なるのだ。前者には「あんな運動などする必要はないという否定のスタンス」が含まれているのに対し、後者では「あんな運動が出来るのは凄いという肯定のスタンス」が含まれているのである。つまりは、一文字違いで大きな違いを生んでいるのだ。これはもちろんCMがヒットしたということで、否定ニュアンスから肯定ニュアンスに微妙に差し替えたのではないかと思われるのだが、ほとんどの視聴者は気がつかない。気にも留めない。

しかし、自分はこのCMと大食いにちょっと危うい共通点があるように思える。

大食いがちょっと前にブームになったのは記憶にあると思うのだが、あれはもともと「TVチャンピオン」の企画として始まったのがそもそもであって、あの頃は参加者もただの素人に過ぎず、どちらかといえば「素人がこんだけ食ってるぞ。こいつら何でこんなに食ってるんだ?」という「見世物」的要素の強い感じがあったと自分では思っている。

だが、ブームが起こってくると「ただ大食いであること」に付加価値がつくようになり、それが一種のスキルとして認められるようになった。そう、先ほどのアミノ式に即して言うならば「あんなに食べる必要ないじゃん」から「あんなに食べられるのは凄いじゃん」に変わったのだ。つまりは、同じ構造である。

さて、ここまで来ればもう言いたいことはわかっただろうか。大食いのブームが一気に終焉を迎えたのは、ブームの最中大食いを真似しようとして(あれは早食いだったかな)中学生がのどを詰まらせて死亡してしまったという事態が起きたからである。となれば、この「アミノ式」も誰か中学生あたりが無理な運動しようとしてポックリ逝ってしまおうもんなら、即CM打ち切りってことになるのかも。ま、あれは真似できんだろうが。

もうひとつはベネッセのCM。

これまたBGMで「菊次郎の夏」もどきのBGMがかかっているのをご存知だろうか。どっかで聞いたことあるんだけど、微妙に違ってる、というパターンのやつです。「菊次郎の夏」の作曲者は久石譲であるが、このBGMを彼が聞いたら激怒するんじゃないかと心の中で思ってたわけだが、ある事実を知り愕然とする。

それはこのBGMの作曲者が久石でやんの。

ああびっくり。セルフ粗悪コピーである。これにはちょっと驚いた。なんかねえ、プライドがないのか同じような曲しか作れない才能がないのか知らんけどもちっとマジメにやれよ、譲。こんなやっつけな仕事しか出来ない人物なんですか?