お笑い好きじゃなかった

11/1から「DOWNTOWN+」が配信開始されるじゃないっすか。

 

ダウンタウン松本人志が文春の報道を受け裁判に注力するとしてテレビから姿を消したのが2024年のことでした。同年11月には松本側が訴訟を取り下げたものの、そこからテレビに復帰する等の動きが見られなかったが、今年に入って独自の配信プラットフォーム「DOWNTOWN+」を始動させることを発表した、という流れ。

 

松本の性加害に関する疑惑が依然として残る中、配信が開始されるという点に反発する人もいるのだとか。特に配信番組に出演が予定されている芸人のファンがああだこうだ言う投稿がtwitterあたりには散見され、なんだか不毛だなと思う。別にダウンタウンの番組に出ることが加害を容認しているだとか松本側に立っているというわけでもなかろう。出演する芸人だってそこらへんを全部ひっくるめて考えてオファーを受けているだろうに。自分の意識が先走って応援する芸人の人格を考慮しないっていうのはなんだかよく分からないが、まあそういうもんなのだろう。

 

言い方は悪いかもしれないが、こんな風に言われてしまうリスクを抱えながらも、それでも多くの芸人(じゃない人もいるけど)が出演する。もちろんギャラが高いとかの理由があるのかもしれないけど、やっぱり芸人の立場からすれば「ダウンタウンの番組に呼ばれる」ということは特別なことなのだろう。世間への見え方も大事ではあるが、それでもなお出演する人がたくさんいるということは、出演する側の評価としてそういうことなのだ。これって結構大事なことじゃないかと思うのだけど。

 

だからまあ、注目度は高い。とりわけお笑い好きなら見ない手はないくらいの勢い。月額1100円と少々高額ではあるものの、それでも多くのお笑い好きが目にするのだろう。

 

でも自分は見ない。なぜなら、月1100円を払って見るまでの興味と期待がないからだ。

 

これは性加害がどうこうの話のポリシーはまったく関係ない。もし松本にこのようなトラブルが起きておらず、今もって現役でバリバリテレビに出ていたとしても、いや出ているのならなおさら見る気がしない。バラエティ見るのにお笑い見るのにお金払ってまで見なくても、自分は無料のテレビバラエティでいいやってなる人。

 

こういうこと書くと「コンテンツに金を払わないとか大人のやることではない」とか言われそうだ。いや言われてるな既に。もっともだと思う。そりゃ自分だって見たい配信は金払って見てきた。けどテレビで散々無料で見てきたダウンタウンの、松本人志のお笑いを、今更金払って見るほどの興味があるかと言われれば、正直そんなにない、というだけの話。

 

でまあ自分で気づいてしまったんですよ。ああ自分は本当のお笑い好きじゃないなって。ずっとお笑い好きだと思って40年ちょっと生きてきましたけど、結局ダウンタウンの配信見るのに毎月1100円払うのが惜しいくらいにしか好きじゃないんだって。自分にがっかりしている。松本の報道に対するポリシーを抜きにすれば、お笑い好きなら誰しもが金払って見るようなコンテンツに食指が動かない。こんなもんお笑い好きでもなんでもないじゃん。同様の理由で「めちゃイケ」岡村オファーシリーズ最新作の配信も全くそそられなかった。こっちに関しては「終わるべくして終わった」番組という認識があり、これ以上もう何を見せられても「終わってるしなあ」としか思えないからだ。

nageyarism.hatenablog.com

自分はただ「テレビから無料で流れる無駄に面白いバラエティ」が好きだっただけなんだと思う。自分の世代にとってダウンタウンはお笑いの象徴みたいなもの。その象徴がこれから作る笑いの世界に金が払えないだなんていうのは、それはもうお笑い好きでもなんでもないや。自分の何か新しいものを受容しようとする貪欲な感性が鈍ってきている証拠だ。このまま朽ちるがいい。

 

 

 

ただ、その一方で「過去に松本人志の映画に金払ったことへの不信感じゃねえかな」って気も少しだけするので、そういう泥みたいな自分の感性のほうはいまだ現役だねえとも感じる。あとまあほんの少しだけ「これだけ大風呂敷広げておいて本当に面白くなるの?」は正直ある。

 

微調整

高校生クイズ」2025見ました。

 

昨年度をベースとして、どろんこ○×、タイマンダッシュ、バラマキなどを散りばめ、青春要素を盛り込んだ「こういうのでいいんだよ」がちゃんと詰め込まれていた安心できる番組に。タイマンダッシュで男女の走る距離が変更されていたのは非常に良い。やはりそうあるべき、という微調整があったのもよい。

 

ただし昨年のことを踏襲しすぎて、「この先何が起こるんだろうか」というハラハラ感はあまりなかったように思える。あまりに昨年過ぎた。ベースはベースで構わないから、ここにもう一つ何か「昨年とはちょっと違うこと」が入るだけで視聴者も出場した高校生もハラハラ感があったんじゃないかと。津波注意報で日程がズレこんだアクシデントがあったので、もしかしたら他に何か用意していたことが出来なかった可能性はある。だからそんなに声高に言うことでもない。昨年の踏襲でも「知の甲子園」よりは百億倍マシなのだから。

 

あとはまあ、クイズの中身かなあ。〇×やタイマンダッシュあたりは本当に良くできていて文句なし。1回戦の勝ち抜け早押しや決勝の早押しはやはり「クイズのためのクイズ」であり、どうしても競技クイズ感があって自分はなじまない。もちろん「競技クイズ」という世界があり、そこで強い者が高校生クイズでも強いという図式はキレイで分かりやすいのだけど、これを続けている以上はもう先細っていくしかない。私立の名門を公立の名門が倒すのがジャイアントキリングなのだろうか。クイズなんかやったことないギャル3人組がメガネドヤ顔男子を出題ジャンルの偏りでもってなぎ倒していく理不尽さが起こすジャイキリのほうが面白くないか。「結局クイズ研究会じゃないと勝てない」なら、それはやっぱり数多の高校生が出ようと思わないんだよなあ。最後はクイズのための知識で構わないから、最後まではクイズのための知識ではない「何か」が介在していても、高校生クイズは、いや高校生クイズだからこそいいんじゃないかと。

 

でもまあ、今の「高校生クイズ」に参加しようと思うのはクイズノックに憧れをもって参加しているような高校生だろうから、ただクイズのためのクイズを答えてカッコよければいいのかもしれない。そこは時代だ。オッサンのノスタルジーよりは今の高校生に合わせて作ればいいんだろう。

 

今のテレビの中で出来る範疇で、ここ2年の「高校生クイズ」は頑張っているとは思う。次のステップは「これならクイズ研究会じゃなくても勝てるんじゃないか?青春のイベントとしてアリじゃないか?」ともう少し広い層にアピールすることよ。だからこそクイズのジャンルを幅広く、そしてクイズのための知識ではカバーしきれない「高校生の日常に即したクイズ」が欲しいよな。こんなこと贅沢な注文なのかもしれないけど、最悪の状況を脱した今だからこそ、こういうことこそ声高に言うべきだと思ってる。CANDY TUNEのメンバー多答クイズぐらいあったっていいだろう。今回も本当にアニメゲーム芸能問題少なかったよな。これらはジャンルとしてもう成り立たないんですかね。はあ。

 

 

ヒゲと佐久間と北大で

藤村忠寿と佐久間宣行の対談を北大祭(北海道大学祭)まで観に行きました。完全なる備忘録です。

 

藤村忠寿大泉洋を世に出した「水曜どうでしょう」のディレクター。大泉洋からはヒゲと呼ばれ、どうでしょうの出演者としてもお馴染み。佐久間宣行は元テレ東でテレビプロデューサー。代表作は「ゴッドタン」「ピラメキーノ」で、今はYouTubeでも番組を持ち、Netflixでも番組を作る売れっ子。ラジオも面白い。この二人が北大で対談するというのだから、これは素直に見たかった。

 

当日仕事があるのは確定していたが、なんとかまあ仕事の時間を調整して(無理やり午前中に押し込んだとも言える)行けるめどがついたのでチケットを購入。張り切りすぎて発売直後に少しだけ高い前方優先席を即購入したら、なんと最前列だった。そんなに焦らなくてもよかったらしい。

 

完全に私事ではあるが、20年ぶりの母校の学校祭でもあった。藤村Dは年次は全然違うが北大の学部の先輩にあたるし、またアルピーのANNに乱入したときからただのファンでしかない佐久間Pも生で見たい。どうせなら母校の大学祭も久々に見てみたい。いろんな要素が偶然に重なった結果の行動でもある。

 

このブログは元をたどれば大学の情報の授業で「自分でHP作ってみろや」という課題があり(当時の教養の情報なんてそのレベルだった)、そこで作ってみたのがこの「投げヤリズム」なのである。スタートは大学での戯れ。それが今でも形を変えてこんなにダラダラ続けているのだから笑ってしまう。いや笑えないのか。

 

そんなことを考えつつも会場のクラーク会館へ。中に入るのはそれこそ20年ぶり。会館の中身が全然変わってないところが大学という空間の恐ろしいところである。電子チケットとは本当に便利なもので、スマホをかざして何の混乱もなく講堂へ。

 

対談開始前の最前列からの風景。下手に藤村D、上手に佐久間Pが座りましたので自分は佐久間P側にいた。

 

ちなみにすぐ傍の壇上に上がる階段が使用禁止になっていたが、これは前日来ていた春とヒコーキ(バキバキ童貞でお馴染みぐんぴぃと土岡によるお笑いコンビ・タイタン所属)が鬼ごっこして壊したらしいことがTwitterで判明。つい撮影してしまった。階段もバキバキである。

 

学生運営の呼び込み「藤村先生・佐久間先生」で二人登場。さすがにこの二人を「先生」呼びするのは聴衆も本人たちも違和感しかなかったらしく、会場が少しザワつく。

 

一応学生が「司会進行」の役割ではあったのだが、対談する二人がそもそも裏方の人間だとは思えないほどトークが上手く、ほぼ学生の出番はなかった。対談テーマも複数用意されていたが、開始数分で「こりゃ時間内に終わらないな」と感じる勢いで二人が喋るので、結局ふたつほどテーマが消化されなかったのはご愛敬である。放っておけばこの後2時間でも3時間でも喋っていたのだろうが、なにせこのあと沢木耕太郎の講演が控えていたので押すこともできないという事情もあり。

 

「どうでしょう」のファンである佐久間Pがどのようにして番組が出来たのか、という内容からトークが始まり、あとはもう一応テーマに沿って喋りはしたものの、ただただ面白い興味深い話を90分ノンストップで聴けたというだけ。佐久間Pが喋りが達者なのはラジオで当然知っているわけだが、なにせ藤村Dも百戦錬磨でトークが上手い。たぶん対談企画した大学生もこんなに勝手にしゃべり続けると思わなかったんだろうな。

 

印象に残ったトークを挙げておくと、藤村Dの「視聴者の意見は聞かない」だろうか。視聴者も要望しているときは熱を帯びているが、それはただ言い出していることに対して盛り上がっているわけで、実行に移したところでそれ以上の盛り上がりはないというような話だったかと思う(完全にうろ覚えだ)。とりわけSNSの意見に左右されがちな最近のテレビに対して言っているなこれは。また「(どうでしょうで)原付で走る映像が続いても、マラソン中継がほぼ同じ映像なのにも関わらず2時間なんとなく見られてしまうから大丈夫だ」というのも笑ってしまった。確かになあ、と。

 

佐久間Pは「自分がちゃんと知らないことはできない」という話。先日IT企業がアニメ作りたいからと呼ばれて会議をしていたが、会議の参加者が誰も最近のアニメを見ていなくて「お前ら誰もアニメ見てねえじゃねえか」と珍しくキレた話をしていた。そこにかこつけて佐久間Pが手掛けるアイドル「ラフ×ラフ」の話も少しだけ登場し、アイドル手掛けてみて3年が経ち、ようやくアイドルのことが少し分かり始めたと言っていた。これはもしかして売れるのか、ラフ×ラフ。

 

そして佐久間Pの佐久間Pたる所以を見せつけたのが「忙しい中どうやってメディアの作品を見る時間を作っていますか?」という質問に対し「忙しい中見る時間を作るのではなく、メディアを見る時間のスキマに仕事をしている」という回答の中の一幕。ラジオリスナーである自分は「メディアを見るスケジュールと仕事のスケジュールを同列に管理している」ことはもちろん知っていたのだが、その証左として「前日に北海道入りして午前中に朝からシネマフロンティア(札幌駅ビルにある映画館)で映画見た」というなかなか考えられないエピソードを披露。本人が「これ引かれると思うんですけど」と言っていたが、このエピソードはさすがに半日休みがあったら何したいと目を輝かせて喋る佐久間P過ぎた。

 

というわけで司会の学生が時間配分に苦慮しつつも対談は終了。本当にあっという間の90分だった。ちなみに間近で見る佐久間Pは言われているほど大きさは感じなかったが、キンタロー。がやっているモノマネは顔の造形と笑い方が激似であることが肌をもって感じられたのが収穫です。

 

おそらくまあこんな機会は二度とないわけで、そこに立ち会えたのは素直に楽しかったです。最近のテレビは「得体の知れない人が出てくる場所」ではなくて「何かやった人を連れてくる分かりやすい場所」になっていると二人。それだけテレビというメディアに余裕がなくなり相対的な価値が落ちているという意味なのだが、それでもやはり自分は「何かザワザワするもの」をテレビで見たいんじゃあという気持ちもあるので、とりあえず死ぬまでずっとテレビ見続けるんだと思います。

 

 

祭りという名の確信犯

日テレが「大進化!レジェンド番組祭り」と称して往年のバラエティ番組を復活させて放送している。5/24(土)には「マジカル頭脳パワー!!」「THE 夜もヒッパレ」が放送された。

 

THE 夜もヒッパレ」は非常に手堅い布陣だった。King&Princeの永瀬廉をMCという名の客寄せに据え、三宅裕司中山秀征赤坂泰彦という鉄壁のオリジナル布陣。その他出演者も「今放送していたら確実に出てんだろ」の顔ぶれを揃え、「いつ復活してもやってやんよ」という気迫を感じた。ただ、「THE 夜もヒッパレ」という番組は「今流行りの曲を昔の人気者が歌っているものの、全員が全員なんかよく分からん気づかいであふれており、ふと我に気づくと一体何を見せられていたんだろうと茫然自失とする」ことに意味があるので、現代社会において全く必要とされていない。氷河期世代は「これが社会の縮図なのか…」と諦めにも似た気持ちで眺めていたとかいないとか、であるが、今の若者は見向きもしないだろう。今回も永瀬廉が「高嶺の花子さん」を謎に中山秀征にハモられるという超絶接待プレイをしていて、オッサンは「これこれえ!これがヒッパレの真骨頂!」と思ったが、永瀬廉のファンには全く意味が分からなかっただろう。こういう社会の謎を学ぶ番組だったのだ。

 

森香澄ハシヤスメアツコの「アイドル」(YOASOBI)あたりはヒッパレ感強めでかなり痺れたし、知念里奈のバックでギターだけ弾いてる霜降り明星せいやもかなり良い。全体通して「あの頃のヒッパレ」を再現しているどころか、もう完全に現在進行形のヒッパレで本当に良かった。披露された10曲に加えDA PUMPとMAXの対決ライブなど全部について書いてもいいのだけど、さすがに誰もマトモに読まないと思うのであきらめる。

 

一番良かった点には触れておきたい。ヒッパレのメドレー紹介で赤坂泰彦が曲にまつわるクイズを出題し、それをボケて答えるというこれまたお馴染みのくだりがあったのだけど、今回の放送でも見事に再現。こっちのけんと「はいよろこんで」の歌詞にも出てくる「・・・ーーー・・」は何信号(答えはもちろん「モールス信号」)、という問題に対し、三宅裕司が答えたのが「山城新伍う」だったのだ。これは唸った。さすが三宅裕司。ここのくだりは基本的にしょうもないダジャレやボケで構成されており、年配者がかますベタを面白がる構成である。若者からすれば一ミリも面白い箇所ではない。それは当時から変わらない。

 

だからこそ、これを踏まえての「山城新伍う」は超絶に自分に刺さった。「若者はどうせここで笑わないから、これを楽しんでくれる当時の視聴者層である40代以上のジジイババアが笑えばいい」という若者完全に置いてきぼりのボケ回答。若者は山城新伍知らない。けど40代オッサンの自分は悲しいかな笑ってしまった。オッサンの証左である。しかもこれは「当時ここで笑えてなかったかつての若者、つまり現オッサンのあなた、今この山城新伍うで笑っているだろ?こっちは当時から何も変わってないのに、あなたは笑えるようになった。これが大人になるってことだよ」という三宅のメッセージすら感じる(たぶんそんな意図は一ミリもない)。ありがとう三宅裕司。ありがとう山城新伍(一切関係ない)。

 

一方で「マジカル頭脳パワー!!」もよくできていた。いじわるクイズを連発する「マジカルシャウト」の出来も健在。現代バラエティ番組のゲームの基礎を築いたと言っても過言ではないクイズ・ゲームの数々は本当によくできている。最初はゲラゲラ笑いながら見ていたが、さすがに1時間を超えるあたりから少し疲れてきた。これはもうひとえに年齢によるものだと思う。「マジカルバナナ」はいつやるんだと思ったら最後まで出てこなかったし。

 

所ジョージを筆頭に、当時の出演者を極力揃えようとしていたのもさすがであり、また今放送していたら確実に出ていたよね」のメンツを揃えるのも「ヒッパレ」同様抜群に上手い。浜口京子VS丸山桂里奈の対決なんて150%やってるもんね。それを何の臆面もなくちゃんとやるんだから素晴らしいのよ。

 

「ヒッパレ」ほどの「あの頃感」ではなかったにせよ、ちゃんと当時のバラエティ感を出しながら今放送しても違和感のない演出の仕方はさすがの一言。しかし、「マジカル」に関してはひとつだけ「あの頃感」を出して悪い顔をしていた箇所がいくつかあった。それは「クイズの答えだったら下ネタは仕方ないよね」である。

 

紺野ぶるまに反転した文字で「さんぽ」を「ちんぽ」と答えさせるのは序の口(むしろ紺野ぶるまはこの答えを答えるためだけにキャスティングされたといってもいいくらい)。お題にそって連想したものを答えるマジカルインスピレーションが酷い。「あたまに”う”のつく細長いもの」では、回答者の半分が「うんこ」と答え(それでも一応一文字は伏せられていた)、「あたまに”ち”のつくぶらさがっているもの」ではほぼ全員が「ちんこ」と答える。けどこれインスピレーションの答えだから仕方ないよね、という下ネタ誘導クイズをこの令和のご時世に「当時の番組を復活させたお祭りですから」の確信犯でもって放送するのは、制作側のまあまあ悪い顔が見え隠れしました。

 

でも一番笑ったのは「うんこ」や「ちんこ」を答えさせることではなく、「うんこ」と「うんち」、「ちんこ」と「ちんちん」は別回答として一致に含んでいなかったこと。そこはゲームとして厳密なのかよ。そういうチグハグ感が当時のバラエティっぽくて楽しみました。細部に神は宿りますね(そういう意味ではない)。

 

しかしまあ、次世代に復活できるような番組が今あるのかなと考えると、暗澹たる気分にはなる。でもその時自分は生きていないので知りません。

 

こういうのだけ見たい

先日放送された「くりぃむナンタラ」が個人的に現時点で今年度NO1作品です。

 

「マッチョ芸人の渋滞を考える」ということで、なかやまきんに君庄司智春、オードリー春日、野田クリスタル、コロチキ西野が集合。前半ではマッチョ版のだるまさんが転んだをやっていて、それもそれで面白かったです。

 

しかし何より面白かったのが後半。「Tシャツビリビリ相撲」と称して、対戦相手のTシャツとズボンをビリビリにしたほうが勝ち、という競技を行ったのですが、要するにただの脱がし合い。見たくないスタッフは退出OKでの死闘が繰り広げられました。脱がされてからも誰一人隠すことなく、それどころか股間をことさら見せびらかすかのように動き回るさまはまさに「男子の悪ノリ」の一言。もうテレビはこういうのだけやればいいのにと思いました。

 

編集マンの腕の見せ所

 

全員が激しく動き回る中、全員の股間を過不足なく隠すためにディレクターが1フレーム単位で「見えていない」ことを確認しながら作業したことを思うと胸が本当に熱くなる。股間が隠れていない「無修正版」はおそらくポコチンが右往左往していて、どう考えても修正版より面白いはずだ。しかし地上波の放送に耐えうるために、面白さを削いででも股間を隠す。まさに職人芸。静止画では伝わらないかもしれないが、動画では股間を隠すための顔写真がまあまあスピーディーに動く動く。

 

こういうのを「下品」の一言で片づけることもできると思うのだ。しかし世の中もっと下品な、ゲスなどうしようもない事象であふれている今、このくらいの「上質な下品」が職人芸によって地上波で放送される幸せを、自分はしっかりかみしめたいと思う。他人の不倫より芸人のフリチン。上手くもなんともないまとめ。

 

 

人生が去来

東京サンシャインボーイズ復活公演「蒙古が襲来」を見てきました。

 

東京サンシャインボーイズとは脚本家・映画監督の三谷幸喜がかつて主宰していた劇団であり、30年前に「充電」期間に突入。平たく言えば「充電」という名目でもって活動を終えた。しかし三谷の茶目っ気で最後の公演のパンフレットに「30年後の復活公演」を予告していた。そして今年がその充電を終える30年後だったのだ。本来は「リア玉」という作品で復活予定だったはずなのだが、この度「蒙古が襲来」という新作を引っ提げ、なんと全国ツアーである。

 

ここでも度々書いてきたが、自分にとっておそらく生涯取って変わることのないオールタイムベストのドラマが「王様のレストラン」である。もちろん脚本は三谷幸喜。当時スケベなことばかり考えていた中学生だった自分は、東京サンシャインボーイズ三谷幸喜なんて名前も全く知らない。ただ「なるほどザワールド」春の祭典スペシャル(当時放送していた「なるほどザワールド」をメインにした春改編の番宣番組)を見て「なんかこういうドラマがあるんだな、面白そうだな」と思って、本当に何の気なしに見たのがきっかけである。当時も(そして今も)いやらしいことばかり考えていた自分は、ドラマを見るなんて習慣もなかったのだ。

 

三谷幸喜という名前をしっかり意識するようになったのは、その後のこと。「古畑任三郎三谷幸喜が書いていたのか!」と知って驚いたのだ。当時「金田一少年の事件簿」が流行っており、自分もかなりの勢いでハマっていたので、「警部補・古畑任三郎」をちょっとしたミステリとしてとらえていて、こちらも何の気なしに見ていたのである。まさか「王様のレストラン」と同じ人が書いていたとは露も知らず、だ。第二シーズンが始まるときに「ああ、これは王様のレストランと同じ人が書いている作品なのだな」と、そこで初めて意識をするようになる。これまた今はなき雑誌「月刊カドカワ」で三谷幸喜の特集記事を読んで、「ああ、三谷幸喜ってこういう人でこういう作品を手掛けていたのね」と知るようになる。

 

それからは「竜馬におまかせ!」「総理と呼ばないで」「今夜、宇宙の片隅で」「合言葉は勇気」「HR」などの作品を「三谷幸喜が書いている作品」と意識して見るようになる。当時は「三谷幸喜の面白さを知っている同世代なんて自分くらいなもんだ」と完全に思っていた。絶対にそんなことはないのに、である。

 

そして三谷幸喜が最初に手掛けた大河ドラマ新選組!」を本当に食い入るように見た。堺雅人演じる山南敬助切腹するシーンで号泣した。「真田丸」も「鎌倉殿の13人」も本当に面白い大河ドラマではあったが、最後まで前のめりになって見た大河は「新選組!」であると自信をもって言える。

 

自分はこの30年、食い入るようにテレビを眺め、そしてそのほとんどを忘れてきた。主戦場はバラエティではあるものの、ドラマも毛嫌いすることなく見てきた。そのドラマのメインの柱として存在したのは紛れもなく三谷幸喜であり、三谷がいなければおそらくここまでちゃんとドラマを見るようなことはなかったのではないか、とすら思う。

 

だからこそ三谷幸喜が主宰していた劇団「東京サンシャインボーイズ」の舞台を生で見ることが出来るならばそりゃあ見たいけども、なにせもう解散(充電)している。見ることは叶わないけど、それは自分の生まれた時代が少し遅かったせいだし、もしもう少し早かったとしても、北海道在住の自分に見るチャンスなんてなかったろうなと思ってはいたのだ。

 

それが復活。札幌にも来る。見ないなんて選択肢はあるのか。

 

復活公演が発表されたのが昨年秋。その時は「絶対に見るんだ!見る!見ない選択肢はない!」と思っていた。しかし公演の時期は仕事の繁忙期。休みがちゃんと取れるかどうかの保障もない。そんなこと言ってたら何もできやしない、というのは今回の舞台の核にもなっている話ではあるが、もちろんそんなことは知らない自分。仕事にかまけて気づいた頃には、もうチケットは売り切れていたのである。アホすぎる。

 

そして仕事の予定が確定した2月。どうも上手く時間を調整すれば見られるっぽい。というわけでここからチケット入手を試みるも、どこも売り切れ。ああ困った。しかし粘り強く待ってみるものだ。忘れたころにアナウンスされる追加販売。運よく入手できた。というわけで、1か月も前から今日という日を本当に待ちわびて仕事の繁忙期を耐え抜き、今日。遂に憧れの舞台(を見る会場)へ。

 

平日昼間ということもあり、舞台を見に来ているお客さんは自分よりも年上の方が圧倒的に多い。今回の舞台はU35チケット(チケット代半額)なるものも用意されていたが、ものの見事にみんなご高齢。そりゃそうだ。東京サンシャインボーイズの全盛期を知る方々は自分より少し年上の方々だ。これは当然の帰結である。そんな自分より少し年上の方々が、みんなちょっとだけワクワクしているのが雰囲気から伝わる。いいよなあこういう雰囲気、とかみしめた。

 

時間に余裕をもって入場し、パンフレットを早速購入、時間まで席で読みふける。アナウンスがあり、開演、そして終演。まだ舞台は続いているので、中身に関することは書かないのがマナー。梶原善相島一之小林隆といった現在ドラマでも活躍する主要メンバーが出てくるたびにニヤニヤする自分、そして何より驚いたのが西村まさ彦の声のデカさ。舞台だからみんな声はちゃんと通るんだけど、その中でも一際でかいのが西村。そして「デカい声は面白い」ということをまざまざと見せつけられた気がする。

 

カーテンコールを見ていてオジサンは思わず涙ぐんでしまった。それはもうひとえに「生きていればこういうのを見れる瞬間が来るんだなあ」と、自分が30年前に見たドラマで受けた衝撃を、30年後の自分がちゃんと回収できたというえも言われぬ感情。感動とも違う何か。月並みな言葉で言えば「生きててよかったなあ」というやつか。

 

また、裏の懸念事項として「2時間尿意を我慢できるか問題」という、オッサンならではの問題。若い頃は映画でもライブでもトイレの心配なんかしたことはなかったのだけど、年食ってから尿意がまあ頻繁に訪れるようになり、久々の観劇の最中尿意で中座なんてことになりやしないか。そこは本当に心配だった。結論としては「特に問題なし」であったことは書き添えておきたい。

 

しかしまあ、30年越しの願望が実現するなんてこと、この先絶対とは言わないがほとんどないんだろうな、と思う。そんな経験が出来ただけでも自分は幸せ者だと思うし、またテレビを漠然と眺めてきだけの他人からみれば空虚な人生ではあるんだけども、それはそれでよかったのかなあとも思う。この先の人生こんなに楽しいことはないのかもしれないけど、それはそれでよいか。

 

ま、明後日の日曜もまた見るんですけどね。チケットは2枚取れたのです。

 

 

続・中居とフジテレビの件

フジテレビ問題に関して第三者委員会が調査報告。

 

前回書いたのがこちら。

nageyarism.hatenablog.com

 

正直なことを言えば、今回の第三者委員会の発表で自分が「えぇ!」と驚くようなことはひとつもなかった。自分が前回書いた内容が大体想像通りだったことが説明されたに過ぎない。中居は思った通り手慣れた感じで渡邊渚アナを誘い出していたし、フジテレビは会社として積極的な関与がないものの、中居の腰巾着と成り果てていた中嶋優一が中居のために動いていた事実はあったし、第三者委員会が「二次加害」としていたように、フジテレビ側がこの問題を穏便に片付けようとしていた動きがあったことも認められた。まあ、そんなもんである。自分のような赤の他人が想像した範疇を出ない「取るに足らない事件」でしかなかったことに、自分は改めてがっくりきている。つまらん話である。

 

問題がこのように表出した以上、第三者委員会としてはフジテレビの責任をある程度詰めなければいけないが、あの報告を読めばどう考えても悪いのは「自分の権力でもって女子アナを手籠めにしようとしていた50代のオッサン丸出しの中居正広」でしかないのは明白。もちろんフジテレビが全くの潔白ではないのだけども、これを「フジテレビの問題」としていいもんなのか。構造としてはフジテレビのみならずどこのテレビ局も同じ穴のムジナじゃなかろうかと思うのだけどね。

 

自分の興味は既に尽きました。あとは勝手にやってくれという感じ。以上です。