「凄い」の所在はどこにある

森光子が89歳の誕生日に、自身が主演の舞台「放浪記」の2000回公演を達成。国民栄誉賞を贈られるらしい。


この報道を見たときから、自分は何が凄いのかよく分からないのです。いや別に「こんな記録別に凄くないだろ」ということではない。単純に2000回舞台の公演をするだけで凄いことではあると思うんです。そのくらいのことは理解は出来るんです。


けど、この森光子の報道に関しては、色々と「凄い」と思われることが付随しすぎていて、どれを中心に「凄い」ことなのかよく分からない状態になっている。いったいどこに「凄い」という驚きを持てばいいのだろうか。


例えば「16歳男性、全裸マラソン3日で日本一周」という報道があるとします。この報道が流れたとき、あなたはどこに「凄い」と思うでしょうか。16歳男性がマラソンで日本一周をすることが単純に凄いことですが、それを「3日」という驚異的なスピードで成し遂げたことも凄いですし、「全裸マラソン」という謎のスタイルも凄い。さらには「3日全裸で走っていたのに警察に捕まらなかった」ことも凄い。はたまた本来は公然猥褻で捕まっているはずの16歳男性がさも偉業を成し遂げた人物としてマスコミで報道されていることも凄い、というように、いろんな面で「凄い」がありすぎて、どこに「凄い」と思っていいのか困る。何がメインで「凄い」ことなのか分からなくなるのだ。


今回の森光子の報道もそれと同じ。「同一役で2000回公演」はもちろん凄いが、「89歳で主演として舞台に立っている」ことも凄い。そんでもって「50年もの間同じ役を演じることも凄い」し、「50年も同じ役を演じることが出来る劇って、それって劇として成立してんの?」という意味でも凄い。さらには「見せ場であるでんぐり返しを封印してまで同じ役、同じ舞台にこだわり続ける」のも凄ければ、「見せ場を封印した舞台って、それはもう演劇の出来云々は関係なく単に記録を伸ばすための自己満足なんじゃないの?あ、でも既に記録を伸ばす森光子を愛でるためだけの舞台ならそれでいいのか」という完全なる閉じた世界になっているのも凄い。これらの誰でも思いつく疑問を呈することが出来ない、あるいは思っていたところで報道することの出来ないマスコミの翼賛体勢も凄い。


そういや「森光子とジャニーズのよく分からない寵愛関係」も凄いし、「国民栄誉賞授与の基準がよく分からん。国が森光子に媚びてるの?森光子は国に媚びられる存在なの?」という意味でも凄い。そもそも森光子が森光子として今まで稼動していることが凄い。森繁久弥がまだ死んでないことも凄いが、それは今関係ない。


結局のところ、これらを全てひっくるめて「凄い」と感じるのが正しいのだろうが、自分はこの「凄い」で塗り固められた報道の有様を「凄い」ではなく「酷い」と感じてしまうわけで。今後森光子がサイボーグ化されて永遠に公演をし続けるのであれば、自分はそのとき初めて「凄い」って思うのかもしれないけど。