総理の孫

拳銃列島ニッポン」のproyakyuhさんが DAIGOについて長いこと「面白い人として扱っている不思議」という分析をしている。これが非常に興味深い。以下要点をいくつか引用。

今のバラエティでのDAIGOのよくわからないほどの売れっぷりもそれと同様に、具体的に何がどう面白いというよりも「元首相の孫にして、あんなチャラい言動をしてる」って「状況」がウケてるのではないか。とかなんとなく思ってたけど、この「バニラ気分!」で割と長いことしゃべってるのを改めてちゃんと観てると、DAIGOの面白がられてるポイントが本当にその「チャラい言動」の一点のみだった。具体的にエピソードやコメントの一つ一つが面白いわけでもなく。で、「イロモネア」での審査コメントとか、「太田総理」でたまに真面目な意見を求められた時なんかは本当に大したこと言えないし(一応あのしゃべり方でその場はウケてはいるんだけど)。あれだけ重宝されてる割に、面白がられ方のバリエーションが意外なくらい少ない。

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DAIGOの面白がられてるポイントって実際のところ「あのチャラい言動」の一点のみ(つまりあれがある意味持ちギャグ)だと思うけど、その内バラエティがそれに飽きて、もしくは慣れた時にどうなるのか。

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ただ番組自体には全然関係ない話だけど、「DAIGOは野放しにしといていいのか」という問題はいよいよ深刻になってきたと思う。(中略)DAIGOが起こす笑いったっていつも通り「チャラいしゃべり方」+「計5〜6個ぐらいのチャラいキーワード(「ぶっちゃけ」「超」「ハンパない」「アツい」「クオリティ高い」など)」+「特に面白いわけではない内容」である。

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proyakyuhさんはDAIGOがウケている理由に関し、「元首相の孫にも関わらずチャラい言動をする状況」ではなく、「チャラい言動」のみであると断言。さらに竹下元首相のエピソードはそれほど面白いわけではない内容としている。なるほど鋭いな、と思った。


しかしその一方でまだ欠けている部分があるのではないかとも思う。例えば、DAIGOが元総理の孫であると同時に「イケメン」であるという観点がごっそり抜け落ちてはいないか。むしろDAIGOを語るうえで抜けてはならない要素であるように思う。考えてみてほしい。例えばDAIGOがアキバ系の容姿のまま今のキャラクターであったらここまで売れただろうか?どうも自分にはそう思えない。DAIGOは元総理の孫でミュージシャンであると同時に、爽やかなイケメンだったからこそ「チャラい言動」が許されている(受け入れられている)のではないだろうか。もしアキバ系のブサイクだったら「甘やかされて言葉遣いもちゃんと出来ない勘違い男」になってはいやしないか。元首相の孫であると同時にイケメンであることが、チャラい言葉遣いの免罪符であり、この免罪符を持っている人間は殆どいない。


そしてDAIGOは「チャラい言動」はするけども、根っからチャラチャラしていない。つまりはチャラいのは言動だけで、実のところ「竹下元総理の孫」の肩書きよろしく育ちのよさが垣間見えている。そして22日に放送された「平成教育学院」の成績を見ると、意外に聡い。「チャラチャラしている」「チャラい喋り方」というのは決して万人受けするものではなく、大抵の場合嫌悪感をもって迎えられるが、DAIGOの場合、こういう要素がチャラいのに嫌悪感を持たれにくくしてはいないだろうか。自分はここにDAIGOの強みがあるように感じる。簡単に言えば、アクの強さの割には口当たりがいい。とってもテレビ向き。


竹下元首相のエピソードのやチャラい言動も「面白さ」のひとつではあると思うけど、自分はやっぱり「イケメン」「ミュージシャン」という要素を含めて「DAIGO本人が我々が抱いていたイメージから悉く半分ズレている状況」が面白く、ウケているのだと思う。そしてこの面白さは、我々が勝手に抱いていた「元首相の孫」というイメージとの齟齬を徐々に修正していき現在のDAIGOと一致した時点で尽きるはず。換言すれば「飽きる」「慣れる」ということですね。だから現在においてDAIGOはまだ「面白い人」であるように思う。


しかしその一方で「〜〜ウィッシュ」などという変な造語を持ち出しているあたり、もう賞味期限に近づいているのかなとも感じる。それ以上「チャラい」に寄ったところで、イメージの齟齬は生じないのだ。DAIGOにとってそれは面白くないと同義。




proyakyuhさん、勝手に引用させていただきました。この場を借りてお詫びならびに感謝申し上げます。