ドリームズ カム トゥルー

秋葉原の無差別殺人事件に関して。


本来無差別通り魔殺人なんて事件が起きたら「えらいこっちゃ」という気持ちになって然るべきなのでしょうが、いかんせん凶悪事件が毎日のように報道されている昨今においては「またか」という感想が先立ってしまうのが悲しい。それにしても7人殺害10人殺傷という数字は今までの事件にも増して強烈なインパクトを与える。


ただ、数字だけ見れば「今までに類を見ない凶悪さ」のように思えるが、報道される内容は実に「いつも通り」だ。犯人の子どものころの同級生や現在の職場の同僚がインタビューで「そういう人間には見えなかった」「成績は良かった」「急にキレることがある」だの、判で押したような「犯罪者の素性」を語る。全てではないにしろ、自分だってこう語られたら犯罪者となんら変わらない「犯罪者像」であり、こういう報道が何の意味も持たないことをイヤでも思い知らされる。


そして自分が以前から批判しているように、必ず出てくるのが「文集」。今回の犯人は自己紹介の欄を全て英語で書いてあり、また中学生時にはありがちなどこぞのファンタジーのキャラを描いていた。そのキャラが長い剣を持っていたことを殊更に強調する報道。馬鹿にもほどがある。ピンクローターを持っていたら強調したほうがいいが、あの手のキャラが剣を持ってないほうがおかしいだろ。


犯罪の内容こそ違えど、出てくる報道は通り一遍変わらないわけで自分からすれば各局こぞって報道するようなことでもないように思えるが、それでも凶悪事件だから報道するのは分かる。通常ならば報道して構わないだろう。ただ、今回の事件は話が別だ。絶対に各局の報道やワイドショーは横並びでこの事件を扱ってはならないと思う。


なぜなら、犯人が携帯から書き込んだと思われる掲示板に「夢:ワイドショー独占」という書き込みをしていたからだ。この情報をよりによってマスコミが番組で取り上げるという神経が分からない。


犯人はネット上の掲示板に書き込みをして、自分が無差別殺人を犯しこの事件がワイドショーでこぞって報道されることを望んでいることをアピールしている。ネット上の掲示板に独り言が書きたくて書いたわけではあるまい。必ず誰かが自分の書き込みを見つけて、それを取り上げることを望んでいたからこそこのような書き込みをわざと残したのだ。


ただでさえ「無差別殺人」という欲望を満たしているのである。その上「ワイドショー独占」という夢をみすみす叶えてやる必要がどこにあるんだろうか?無差別殺人は防ごうと思ってもなかなか防げるものではないが、ワイドショー独占は「各局がこぞって取り上げるようなことをしない」というマスコミの決断でいくらでも防ぐことが出来るのだ。それをなぜしない?そしてよりによって「ワイドショー独占が夢」という報道をおまえらが報道することでワイドショーを独占させてどうする。こういうのを矛盾って言うんじゃないのか。


「ワイドショー独占」という報道をワイドショーなり報道番組で報道している側はどのような気持ちなのだろうか。「それでも報道するのが使命だ」とか思ってるんだろうか。それとも単に「他局と横並びでやらないと視聴率が取れない」とでも思ってるんだろうか。前者も自分はどうかと思うが、後者だったら情けなくて涙が出る。そんなオマエらのちっぽけな利害のために、犯罪者の欲望を満たす手助けをしなければならないのか。避けたくても避けられなかった被害者に対して、避けようと思えばいくらでも避けられるワイドショー独占を幇助するマスコミが被害者の無念を語る資格はあるのか?


「ムカついたら負け」というくらいに映画の宣伝のためテレビに出まくっていた三谷幸喜は、自身の映画に関して「コメディはお客さんが笑ってくれてはじめて完成する」と言っていた。この言葉を借りて言えば今回の犯罪はまさに「犯人の欲望の充足は無差別殺人を犯しワイドショーを独占することで初めて完成する」んじゃないのか。マスコミが彼の犯罪の、欲望の充足の手助けをしたと思えてならないのだ。


きっと犯人は檻の中でほくそ笑んでいるに違いない。無差別殺人までやった上にワイドショーも独占出来ているんだから。自分にはそれが腹立たしくて仕方ない。そしてこういう感覚を持ち合わせていない(あるいは持ち合わせていても「放送しない」という行動で示すことが出来ない)マスコミの無神経さに腹が立って仕方ない。