出オチ

ジェロが売れているようだ。


ジェロとは見た目が思いっきり黒人なのにも関わらず、物凄い流暢な日本語でもって演歌を歌う歌手。デビュー曲「海雪」がオリコン4位にランクインした。祖母が日本人らしいので純粋な黒人ではないとはいえ、あの風体から繰り出されるバリバリの演歌は見た目とのギャップも相俟ってかなり驚かされる。


音楽に出自は関係ないとはいえ、それでも黒人が演歌を歌うというのはやはり驚かされる。特に演歌というジャンルは「ザ日本」であって、歌真似は出来ても、とてもではないが外人には歌いこなせないものだと潜在的に思い込んでいた。その概念を根底から覆したのがジェロということになる。


自分はジェロの演歌は黒人であることを抜きにしても普通に上手いと思う。無論自分はバカ耳なので本当の意味で上手い下手を聞き分ける自信はないが、素人の耳からすればジェロの演歌は充分に「聴ける」レベルだと思う。ただ、そのレベルの歌っているのが黒人だということに付加価値があるというのは否定出来ない。これが黒人ではなかったら売れていたかと問われれば、自分はおそらく「売れてないのでは」と答える。人種差別とかいう意味ではなく、単に「引っかかり」の問題として。


単に上手いだけの歌手はゴマンといる。売れるためには人の心に引っかかる何かが必要だ。ジェロの場合その「何か」が「黒人なのに演歌」というギャップであることは言うまでもない。だから彼が黒人であるから売れた、というのは差別的発言(蔑視の意図を含まない)ではあるが、それを否定してしまってはやはりウソになる。


だからジェロを「黒人なのに演歌歌手」という売り出し方をするのは極めてまっとうな戦略であると自分は理解する。しかし、だからといって「黒人なのに演歌歌手」というのを必要以上に押し出すのは今後のマイナスにならないだろうか。


ジェロのデビュー曲「海雪」のPVを見ると、その雰囲気を強く感じる。


最初はいかにもヒップホップを歌う歌手、みたいな登場の仕方をするのだけど、曲が始まるとヒップホップな恰好で演歌を歌い始める。いわば「その恰好で演歌かい!」つう出オチ(歌い出しオチ)をPVで行っているのだ。これってどうなんだろう。明らかに「曲を見てくれ」ではなく「黒人がヒップホップの恰好で演歌歌ってまっせ」という色物扱いである。周りが色物として扱うのは仕方ないにしても、売り出す側が最初から色物扱いするのはアリなのか。


このやり方ってのは「演歌を歌う黒人」というキャラを演じているのと同じではないだろうか。キャラそのものが面白がられているうちはいいけど、そのキャラの存在が飽きてしまえば途端に見向きされなくなる。折角いい歌歌っているのに、最初から「演歌歌う黒人」というキャラ先行で売り出してしまうのは、後々のことを考えるとやらないほうが良かったような気がするんだが。


この発想は「エンタの神様」をベースに考えると分かりやすい。いくら本来のネタが面白い芸人だったとしても、「アクセルホッパー」という名前をつけられて「バカテンポ」という分かりやすいネタのひとつを特化して披露させられる永井佑一郎が決して永井佑一郎としてマトモに評価されないのと同じように、ジェロの歌の実力がいかに凄かろうとも、「演歌を歌う黒人」というわかりやすい部分を全面に押し出して売れたところで、ジェロ本人のその後の評価に繋がらないのであれば、それは間違いなく勿体無いのではないだろうか。


ジェロの歌が「黒人であること」を抜きにしても売れるという自信があるならば、「演歌を歌う黒人」という押し出し方はしないほうがよい。けれども「演歌を歌う黒人」という分かりやすさを全面に押し出してくるということは、売り出す側がジェロの実力をそれほど買っているわけではないか、一発屋でもいいから小銭を稼ぎたいと思っているか、もしくは何の考えもなしにとりあえず売れればいいやという場当たり的な考えだったかのいずれかなのではないだろうか。


前述のように自分はジェロの歌が本当に上手いのかどうか判断しかねるわけだが(「黒人が歌う演歌」というフィルターをかければ充分に上手いとは思うが)、売り出す側は案外ドライに彼の実力を判断して「一発でもいいから売れればいいや」と思っているのかもしれないなあ。じゃないとあんな出オチのPVは作らないと思うんだが。あんなPVを作っておいて2作目にどんなPVを作るつもりなのかと聞きたいくらいだ。