バレンタインに思う

死にたくなることに、街中もテレビもバレンタイン一色。一色といえば一色紗英。自動車運転しているときに子供が携帯に出てしまって、それを子供から受け取ったら警察にしょっぴかれたという話。一色さんは「子供が出たのが悪いし、かけてきたほうが悪いんだから私は悪くない」と言い張ったそうな。久しぶりに一色紗英が話題になったと思ったら、久しぶりにこんな正々堂々とした詭弁を聞いた。こんなキャラだったっけか、一色紗英


この理屈でいけば、バレンタインにチョコがもらえないのはチョコをもらえない自分のショボさが悪いのではなく、ショボい自分にチョコをあげない周りの女性が悪いことになる。うーん素晴らしい。だから一色紗英は周囲のブサイクな男性にちゃんとチョコをあげるように。


この時期になると必ずモテない男は言うんです。「バレンタインデーなんてチョコメーカーの販売戦略じゃねえか」と。正論なのです。思いっきり正論なのです。しかし悲しいことにこの正論を言った時点で負けなのです。完敗です。乾杯です。乾杯といえば長渕剛長渕剛の不倫相手といえば国生さゆり、そう、国生さゆりといえば「バレンタイン・キッス」なのです。


バレンタインデーといえば「バレンタイン・キッス」であり、この曲が発売されて以来22年もの間国生さゆりの一人勝ちなのです。この22年間毎年のように国生さゆりには印税が入るのです。バレンタインデーとは本当はチョコメーカーではなく国生さゆりのためにあるのです。


国生さゆりといえば、先日放送された「ネプ大リーグ」のコーナー「WORLD STAR IN JAPAN」という、海外有名人を日本人に例えたら誰かというアンケートの上位を当てるコーナーにおいて、問題として登場したパリス・ヒルトンに「単に似ている」という理由で確か4位にランクインしていた。


確かに国生さゆりパリス・ヒルトンは似ている。似ているのはその通りなのだけど、自分はそれ以上に「パリス・ヒルトンを見たときに国生さゆりを想起する人間が結構多い」ということにびっくりした。実際に似ているかどうかの問題ではなく、パリス・ヒルトンを見たときに「国生さゆりに似ているよね」と脳のシナプスが反応する回路を持っている人が結構多いことに驚きである。自分にはない発想だったからだ。


だってパリス・ヒルトンを見て「あ、国生さゆりに似ている」と思うには、普段から国生さゆりの顔がなんとなく頭に浮かんでいないとならないわけで、それが出来た人が世の中に結構いるという事実に驚く。自分もパリスと国生を見比べれば「あ、似てる」と思うけど、パリスを見たときに「あ、国生」にはならないんだもの。国生の顔を知らないわけではないが、「誰かに似ている」の「誰か」に国生さゆりはそうそう出てこない。


おそらく国生さゆりは自分が思ってる以上に世間には現役感があるということだろう。まあ「ロンドンハーツ」などの番組で見る機会がないわけではないが、それでもやっぱり「パリス・ヒルトン国生さゆり」という発想が日本人の中にけっこうな割合で根付いているというのは自分にとっては驚きだった。もしかして「ロンハー」の中で「国生さゆりパリス・ヒルトン」という話でもあったんだろうか。そんな気がしてきた。


そんな自分が近所のスーパーで自ら購入した「ガーナブラックチョコレート」65円を食べながら想起するは、「パリス・ヒルトンが歌うバレンタイン・キッス、意外に上手い」の図。少なくともリアディゾンより上手く歌うぞ間違いなく。



朝青龍と懇意にしていて王理恵の結婚がうやむやになっている本田医師のそばすすり音が着信音に。需要ゼロだと思うんだが。