みっともない

先週の「オジサンズ11」で新成人に対して公共の乗り物でメイクするのは是か非か、つうのをやってました。


「他人に迷惑をかけているわけではなく、本を読んだり携帯でメールを打っているのと変わらないのだから別にいいではないか」という意見があった。一理ある意見ではあるけども、オジサンの中のひとり露木茂が「電車でのメイクはみっともないんだ」という話をした。


「みっともない」という言葉は「見たくもない、見とうもない」という言葉が変化したものであり、公共の乗り物でメイクをする姿なんか我々は見たくもない、みっともないんだという話をしていた。これには会場にいた新成人も頷いていた。そして自分も頷いた。他人に迷惑をかける行為かどうか(パウダーが舞う、など)は置いておくにしても、化粧をしている最中の女の顔なんぞ見たくもないのだ。だからみっともない。至極明快である。


化粧という「化ける」行為を我々男性は見たくないのである。化ける前の顔がどう考えてもぱっとしないのに、メイクをしたあとすげえ美人だったりしたら「あ、なんかイヤなもの見ちゃったなあ」という感覚になるのだ。別に「騙された」ということではなく、素顔を晒しておいて化けるのは男性が少なからず女性に抱いている幻想そのものをぶち壊すことになる。


そうは言っても家族に女のきょうだいが居たり、はたまた妻や彼女がいる男性は少なからず「化ける前」の顔を見ているわけで幻想もへったくれもないとは思うかもしれないが、それは「知っている人間」だから問題がないのであり、知らない人間にこそ「化けている」とは分かっていても「それでも」という幻想を抱いてしまうのが悲しい男の性である。だから女性はその男性の幻想を無闇に壊してはならないのである。本来女性が幻想を抱かせるべき対象は親しい相手ではなく、親しくない相手である。


とまあ自分のどうでもいい主張はともかく、ここで話題にしたいのは「化粧もせずに素顔を晒すのはみっともないぜ」という話。特に芸能人の場合、ひと握りの「ノーメイクでも美しい」人は除き、これは常識と言ってもいいくらいだ。しかし、なぜかこの常識に敢えて逆行するようなことをした神をも恐れぬ罰当たりな女性がいる。


倖田來未だ。またか。


ここ数日の歌番組に登場している倖田來未のツラをあなたはご覧になったか。どうやら新曲のコンセプトらしく、普段の倖田來未のバリっと決めたメイクではなく、寝起きで歌っているようなナチュラルメイクなのである。あれをすっぴんだとは思わないけども、今までの倖田來未のメイクからすればかなり「ナチュラル」なものといわざるを得ない。目のあたりなんか腫れぼったいもいいところだ。最初見た時「なんか体調でも悪いのか?」と普通に思ったもん。画像が見つからなかったのが悔しい限りだ。見つかったら必ず追加します。


おそらくこれって「私くらいになると、ナチュラルメイクで歌うのもありやん。な!(氷結風)」てヤツなんだろうね、きっと。


許さん。


久々にフォントを大きくしてしまうくらいに声を大にして言いたい。誰がナチュラルメイクで歌うことをを許した。あの浜崎あゆみですらナチュラルメイクで歌うという荒業はやらなかったのだ。にも関わらず、浜崎よりも地顔がショボいと思われる倖田來未ナチュラルメイクで歌うなんてことが許されていいのか?いや断じて許さん。


ここでも書いたが、自分は氷結のCMを見たときに、倖田來未そのものよりも「ああ、こんなCMが流れてしまうほど世間は倖田來未を許容している(と思われている)んだな」ということがキツかった。世間は持ち上げてはいるものの、みんな「でもたかがエロカッコイイでしょ(笑)」というニュアンスだと思っていたのに、あのCMにはそこらへんのてらいが全く無かったのだから。自分が思うよりも世間は倖田來未を許容していたし、また倖田來未のしょっぱさに関して「皆そう思っている」と安心しきっていたことを深く反省した。


だから今回倖田來未が「ナチュラルメイクのくぅちゃんもありやん。な!(氷結風)」と図々しくも登場したことに関して、自分は大声で


許さん。


ともう一段階フォントを大きくして言わねばならないと思うわけです。嘲笑していれば済む時代は終わりました。ちゃんと許されないと思うことは許されないと言わねばなりません。


化粧をした倖田來未は決して美人の部類に入るとは思いませんけども、それなりにメイクをちゃんとして出てくる分には「ブサイク」だの言うつもりはありません。しかし、何を間違ったかナチュラルメイクで登場して倖田の親族でも恋人でもないのにあんなブサイクなツラを拝まされた日には「みっともない」と言わざるを得ません。ナチュラルメイクの倖田來未は「エロかっこいい」ではなく「グロみっともない」んだ。だからやめてくれ。何度でも言う。やめてくれ。