カバーという名の罰ゲーム


上原多香子いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」をカバーするってね。なんでもNHKの朝ドラ「てるてる家族」で上原がいしだあゆみをモデルとした役をやってるのが縁らしいね。

しかしまあ、上原多香子に歌わせるというのは誰がどうこう英断したんでしょ、と言いたくなる。彼女、歌正直ヘタじゃないですか。

今年や去年に限らず、カバーが流行りの昨今ですが、もう最近では「カバーよりも原曲のほうがいい」だなんて主張をするまでもなく、最近では「カバーすることによってあれは罰ゲームをさせられているんだ」という考え方にシフトしてきている。

上原は2度目の罰ゲームなのだ。以前の罰ゲームは「Make-up Shadow」だった。井上陽水。これも相当厳しい罰ゲームだったわけだが、今回も更に厳しい罰のようだ。一体上原はドラマのなかで何をやらかしたのだろうか。いしだあゆみの逆鱗に触れたからゆえの罰ゲームなのだろう。しかもカップリングの曲まで「あなたならどうする」といしだあゆみのカバー曲。これは相当な罪ですよ。

去年は山口百恵カバーも多かった。あれも何かの罰ゲームなのだろう。三浦友和がその罰ゲーム行使権を所有していたのかな?谷村新司かも。

MEGUMIの罰ゲームも酷かったなぁ。「見上げてごらん夜の星を」だよ。大罪ですね。あんな恐ろしい罰ゲームは近年稀にしか見る事はできないです。

よくよく考えなくても分かることかもしれないが、ヒットしたカバー曲というのはごくごくほんの一部であり、その成功したカバー曲の裏に何百もの「罰ゲーム」的扱いなカバー曲が埋もれているわけである。そのカバー曲を出した意義なんて持ち出されても、結局売れないということは商業ベースに乗っている音楽としては失敗なわけであり、なんの関係もない。

意義なんてものを持ち出すのであれば、それこそ勝手に個人的にカラオケでその楽曲に畏敬の念をこめつつ熱唱でも何でもすればいいわけであり、それを発売する必要なんてない。それにも関わらず、これだけ多くの歌手みたいなそうでないみたいな人たちがこぞってカバー曲を出して散っていくのを見る限り、それは単なる「名曲に対する冒涜」というものを個人に押し付けるだけの罰ゲームとしての扱いにしかならんのだろうという一応の説明もつくわけなのだけどもね。

そんな屁理屈を持ち出すまでもなく、望まれてもいないカバー曲を世間に向けて発表すること自体がもうダメである。カラオケで歌うだけにしてください。