表記とジャーナリズム

丸山穂高は正直な男ですよね。全然褒めてませんけど。

 

人間として正直であることは悪いことではないと思いますが、こと政治家において「正直」であるのは「無能」であるとも言えるんじゃないですかね。「北方領土を戦争で取り返す」というのは、ひとつの考えとして「絶対に持ってはいけない」思想だとは言わないけども、それを北方領土の返還に長い間尽力してきた人に対して向けるべき思想ではないですね。これを擁護している人間の気が知れないです。

 

丸山の「言論の自由」という言い訳もお粗末すぎますが、反論の機会が与えられたにも関わらず体調不良で逃げたというのはもうウンコ以下ですね。さらに丸山は北方領土で無断で外出して「女を買いたい」などとのたまっていたようですね。本当にウンコと呼ぶにも勿体ないです。

 

丸山がウンコ以下の政治家であることは自分の中で争いがないのですが、自分は一連の報道に関してとても気になったことがあります。まずは以下のリンクの記事を一読頂きたい。

 

こちらがスポーツ報知。

hochi.news

こちらが東スポ

www.tokyo-sports.co.jp

 

どちらも丸山に関する記事である。両者の違い、タイトルでお気づきだろうか。

 

「おっぱい」の表記である。

 

スポーツ報知(および日テレ「スッキリ」におけるテロップ)では「オッパイ」とカタカナで表記している。一方で東スポは「おっぱい」と平仮名で表記している。この違いは些末なようで、本当はとても重要な問題を孕んでいる。と思う。

 

自分からすれば「おっぱい」表記が圧倒的に正しい。なぜなら「おっぱい」という平仮名の表記には「おっぱいがおっぱいたる所以の柔らかさ」が字面から伝わってくる。一方で「オッパイ」には「女性の胸についている脂肪の塊」という物体としての情報しか伝わってこない。

 

別に報道であれば「オッパイ」で構わないのではないか。そう思う人もいるかもしれない。しかし丸山の「おっぱい」の発言には、あからさまに「丸山のスケベな念」がこもっている。この丸山のスケベさを字面で表現するならば、やはり「おっぱい」なのではないか。ジャーナリズムとはより正確に真実を伝えることにあるのだとしたら、それは「オッパイ」ではなく「おっぱい」なのではないか。東スポは冗談みたいな記事が多いかもしれない。しかし真のジャーナリズムはちゃんと「おっぱい」の表記に宿っている。あるいは東スポこそ真のスケベだともいえる。スケベとジャーナリズムの両立。自分は東スポになりたい。

 

 

丸山穂高よ、真の言論の自由とはこういうものだ。