仁義なき再会

有安杏果を名乗るtwitterinstagramが開設される。


本日3月15日は有安さんの誕生日である。かねてから予告されていたように、残されていたブログは閉鎖され、全国のモノノフが彼女の存在を惜しむようにお祝いの言葉がネット上には溢れた。表舞台から姿を消し、今は「一般人」として幸せで穏やかな生活を過ごしているであろう有安を慮りながら想いを馳せる。そんな1日になる。


はずだった。


しかしそこに投下されたのは「Official(公式)」を名乗るtwitterinstagramのアカウント。この文を書いている時点では本物なのかどうかのアナウンスはされていない。ももクロ側がネタにすることはあっても本物かどうかの説明をすることはないだろうし、現時点では「一般人」である有安をtwitter側が本物認定(認証済みアカウントにつくチェックマーク)するかどうか、そもそも出来るかどうかは分からない。だから99%本物でも99%ニセモノでも「らしい」としか言うことは出来ないのだけども、一応ここでは「本物」という前提で話を進めていく。


こんなものを見せられて、どう思えばいいと言うのだ。いや素直に嬉しい人はとっても幸せなことだと思う。しかし生まれてこの方「そういう生き方」をしてこなかった自分からすれば、このタイミングでこんな登場の仕方は「おいおいどうなってんだよ」と思うしかない。


彼女の気遣いは分からないではない。ブログがなくなる、そして自分の誕生日であるこのタイミングで「やるかもしれない」と言っていたtwitterinstagramに登場するのはこれ以上ないサービスであり、「official」と銘打っているのも、これから徐々に登場するであろうニセモノを最初から排除してしまうためだろう。自分の本物の言葉を自分で届けたいと願う有安らしい配慮だ。ついでに言えば月末に出るライブDVDの宣伝もあるんだろう。


でもその気遣いは、まるで「芸能人」ですよ。一般人のそれじゃない。全然気持ちが休めていないじゃないか。これはいったいどういうことだ。


唐突な卒業発表後、彼女はあらゆるメディアで卒業の理由として「一度芸能界から距離を置き、何も決めずにとりあえず休みたい」と言った。額面通りにこの言葉を受け取るならば、彼女は「しばらくの間」芸能人であることを避けるのだろうと思っていた。ただまあ自分は「そんなに遠くないうち」に戻ってくる確信はあった。有安さんほどの「恵まれた人間」が、その才能や環境を全て手離して全く別の人生を歩むとは思えなかったからだ。もっと砕けた言い方をするならば「芸能人以上に刺激的かつ充実した人生なんて見つかるわけがないのだから、忘れられず戻ってくる」と思っていた。何も決めない、平穏かつ退屈な日々に彼女はおそらく「すぐ」飽きる。そう思っていた。


しかしこんなに早いとは思っていなかった。あれだけ積み上げていたものをいったん全てチャラにして充電に入ったのだから、少なくとも1年くらいはじっとしているもんだと思っていた。いや、途中で飽きてもそのくらいは大人しくしている遠慮はあると思っていた。


でも彼女は「バリバリの芸能人」のまま再び戻ってきた。いや戻る素振りを思いっきり見せた。本名だし、写真あるし。全然休む気がない。しかも「これからは音楽一本でやっていくから」的な自己主張と共に。まあギターと一緒に映っている写真だけでこれは言い過ぎかもしれないけども、少なくとも「何も決めずに」充電している人が顔出しで堂々と発表する写真じゃあねえな、と自分に思わせたのは確かだ。それに一般人として過ごしたい人は少なくとも「official twitter」なんてものを作らないわな。もう、後ろに、そのofficialを支えようとしている「次」が見えるよ。


もちろん戻ってくることに否定的なわけではない。前述したようにそう遠くない未来に戻ってくるだろうとは思っていたわけだし、その時は当然アイドルではなく「歌手」としてだとは彼女の復帰を願う全員が思っていることだろう。


けど、けどだよ。さすがにこの期間は早すぎやしねえか。この程度しか休まなくていいんであれば別にももクロちゃん辞めるまでの必要なんてなかったじゃない。ちょっと休養を宣言すればよかっただけ。単に休むだけでは達成できない何か他に理由があると思うじゃない。だったら休んだ理由なんて「ももクロちゃん辞めたかった」しかなくなるじゃん。じゃあ初めから正直にそう言ってくれよ。そりゃ応援しているこっちとしては悲しくなるけど、それが本心で「ソロアーティストとして歌いたくなった」って説明してくれたなら、やっぱり誰も責められないよ。けど、こんな形であからさまに近いうちの歌手活動の再会を匂わせたのでは「やっぱり辞めたかった“だけ”なのかよ」となってしまうじゃない。そっちのほうが悲しいって。彼女の気遣いはファンには向いてるけど、ももクロ本体にはあんまり向いてないなあってなるじゃない。それは余計な詮索とか軋轢とかを生むじゃない。


これはもう完全に個人的な見解だけども、せめて10周年の東京ドームまでは待てなかったのか。いや「春の一大事」まででもいい。4人のももクロが4人のももクロとしての大きなライブでの姿を大勢の人に見せることが出来るまでは、有安さんは自分の存在を消しておかなければいけないんじゃなかったのか。彼女がこんなに早いタイミングで出てくることで「5人の幻想」が消えなくなるじゃないか。惜しむのはいい。しかし前に進もうとしている4人と有安本人にとって、いつまでもそう言われるのは迷惑じゃないのか。


なぜこのタイミングだったのか、とつくづく思う。もちろん今日の意味は誰しもが理解しうる。しかし申し訳ないが自分はこのタイミングに仁義を感じない。自分には分からない。なぜこのタイミングでこうなるのか。なんだろうなあ、彼女が戻ってくることに対してもっと気分が高揚するもんだと思っていたが、このタイミングでは自分は無理だ。まだ自分には彼女が求めた休養よりも長い時間の「心の整理」が必要そうだ。