R−ツェーぐらんぷり

「R−1ぐらんぷり2009」を見ました。面白かった。けどね、という感想。


いや、笑いの総量だけでいけば過去最高だったのは間違いありません。なだぎ武が出てきても今回優勝できなかったでしょう。なだぎが面白いことに間違いはありませんけども、過去2回の大会がなだぎに簡単に優勝を取らせてしまうようなメンバーだったことは否めないわけで、それに比べたら今回のメンバーは過去最高と言ってもいい。


ではなぜこんな煮え切らない思いなのかといば、それはもう審査員の「帳尻あわせ」に他ならないでしょう。審査員の誰がどう言おうとも、あの審査に帳尻あわせがあったのは誰の目を見ても明らかです。


優勝した中山功太のネタは面白かったです。「時報」ははずさない面白いネタだと思います。しかし優勝するほどのネタだったか、ひいては683点というとんでもない高得点が出るほどのネタだったかといえば、なかなか簡単に首肯できないです。


敗者復活組の夙川、岸といい調子で来て、バカリズムの日本地図ネタが爆発したときに「ああ、これは優勝で決まったな」と正直に思いました。自分のひいきでもありますけども、ネタの完成度はこの日一番だったでしょう。本人も敗者コメントにあったように優勝したと思っていたようですし。しかし次にネタを披露したエハラマサヒロバカリズムの点数を3点上回ってしまう。これも「もちろん」と書かせていただきますが、エハラのネタは面白かった。だけど、だけどバカリズムのネタを超えるほどの出来だったかといえば、そこは「う〜ん」だろう。


もちろん順番のアヤはある。M−1だってネタ披露の順番が出来に大きく差をつけてしまうこと周知の事実。だから今回エハラがバカリズムの後だったというのはネタ順として幸運だった、の一言で済ませられても仕方がないとは思う。ただ、これはエハラが優勝したときの総括であって、エハラが優勝していない今回には当てはまらない。


審査員の誰しもが「エハラ優勝はまずい」と思っていたはず。エハラの点数が出たときにバカリズムの点数を上回ったときの会場の「え?」という空気は誰より何より審査員がいちばん敏感に感じていたはずだ。このままでは審査員が「あんな審査しやがって」と叩かれるのは自明。だからこそ「エハラの代わり」を審査員は探していたはずで、結局最後の中山までエハラを超える点数が出なかった。なもんで、最後の中山で「帳尻あわせ」と言わんばかりに中山に高得点が出た。けどこれじゃあエハラの審査以上にしょっぱい審査だ。エハラもバカリズムもそして当然中山功太も悪くないのにこの結果は全員不幸もいいところだろう。


こんなことを書いても審査員は否定するでしょう。けど、「自分が審査員だったら」と考えると、やはりこういう心の動きになっても不思議じゃないというか「当たり前」のような気がします。それを踏まえたうえで「自分が審査員なら、帳尻あわせなんてことしていないと否定する」と思うのです。人間ですから、間違いはある。


「帳尻あわせがあった」ということに関し、裏を返せば「エハラのネタは素晴らしかったけども、バカリズムを蹴落として優勝させるまでのネタではなかった」という理解が審査員の中にも生じていたということであり、そういう考えが審査員にあったのだとすればそこは共感できるところで、中山功太に帳尻あわせをしたことを単純に責めることはできないとは思う。


けど、自分を含めて真剣にこの番組を見ている視聴者の思惑を背負って審査している以上、マチャアキの最初から96点つけるようなミス(と敢えて言ってしまう)や帳尻あわせするより仕方ない点数のつけ方はしないでほしいと願わずにはいられない。そこは審査員が謙虚に反省していいんじゃないだろうか。


なにはともあれ、中山功太は優勝おめでとうございました。

正解がわからない

テレビ全く関係ないんだけど書いておきます。


先日本屋に行ったときのこと。だいたい本屋に行くと漠然と本を眺めていることが多いのですけど、この日も同じく漠然と本を眺めていたら、前方から一人の女性が歩いてきたわけです。


さほど広い通路でもないんですが、まるで「私が歩いているのよ!」と言わんばかりに堂々と真ん中を歩いてくるわけですよ。まあ自分のように卑屈な人間になると通路も端っこのほうしか歩けないようになってはしまいますが、一般の方は別に通路の真ん中を歩いていようが普通なのでこれは構わないんです。


問題は、なぜか知らんがこれみよがしに胸元が開いており、「どうよこの谷間」と見せ付けているかのように歩いてくることなのです。これで絶世の美女であれば土下座してひれ伏し「谷間さまじゃ〜谷間さまじゃ〜」と信仰崇拝の対象になるのでしょうが、顔の具合がどうもよろしくない。平たく言えばがっかり。そしてダブルでがっかりなことに、スタイルは凄くいい。世界のヘイポー風に言えば「顔より下は100点、顔は30点」なわけです。


これがもし夏場だったら「そりゃあまあ多少露出のある恰好もするわな」くらいでさほど気にも留めないわけですが、今は冬。札幌の冬。周りを見回しても谷間を出している女子などどこにも存在しないわけですよ。明らかに浮いている。にも関わらずかようの如く谷間を露出した恰好をしているということは、これはもう「見せ付けている」に他ならないわけです。


自分もオスでありますから、女性が谷間を見せていたら見ずにはいられないのであります。むしろ谷間を見せ付けている以上は見ないほうが失礼ではないかと思ったりするんですが、そう思って見ていたら「何見てるんだよ気持ち悪い」と罵倒されたりするので注意が必要です。またこの理屈を援用して短いスカートの中身を手鏡で覗くと教授職を失う可能性があります。


そんなことはどうでもよく、「美人が谷間を露出していたら、そりゃイヤでも見ちゃうよね」が真理であると自分は思ってます。だって、谷間を覗かない理由がないですから。しかし、その一方で今回のように、スタイルは凄くいいのに顔だけがっかりの女性が谷間を見せ付けてきたら「この男の視線は私の谷間に釘付け。所詮男は顔じゃなくて身体目当てなのよ」とブサイクなのに妙に(この「妙に」という部分が重要)勝ち誇ってるんじゃないかと自分は想像してしまい、むしろ谷間を見てしまったら負けなんじゃないかとすら思えてしまう。


特に今回見た女性は全身から「私はいい女ですけど、何か?」という勘違いオーラが放たれていたから始末が悪い。確かにスタイルはいい女。けど顔だけががっかり。トータルで見ても「いい女」ではなかった。にも関わらず、谷間を見せ付けるという向こうの力技で「いい女」を既成事実にされているような気がした。そして自分も「谷間をつい見てしまったあとに顔を見て視線をそらしてしまった」という相手の思う壺のような行動を取ってしまったことに完全なる敗北を感じてしまった。


自分の不甲斐ない一連の仕草も悔しいのですが、何より悔しいのが「これであの女がますますいい女オーラを勝手に撒き散らすこと」である。自分のような被害者が更に増えると思うと、ちょと忸怩たる思いだ。


どうすればこの女性の「妙な自信」を打ち砕くことが出来たのだろうか。本屋を出てから、そして今もずっとそのことばかり考えている。誰か教えてほしい。