とにかく笑えれば

無観客「笑点」は、なかなかに衝撃でしたね。

 

長年後楽園ホールで収録を行っている「笑点」であるが、コロナウイルスの影響で初の無観客収録。笑点の観覧客の多くは老人であり、それがあんだけ集まって万が一発症者が出てしまった場合は冗談抜きに大惨事になる。番組が終わりかねない「笑えない」事態になってしまう。なので他の番組より早い段階から無観客収録を決めていたわけだが、今回の放送分から無観客に。

 

とっても当たり前のことを堂々と書くけども、やっぱり観客の笑い声って大事だなあと思いました。

 

たとえば先日放送された「R-1ぐらんぷり」は割と多く集めたスタッフが、「ENGEIグランドスラムは出演者の芸人が観客として存在し、それなりに笑い声が出ていたように思う。もちろん観客が入っているときとは比べ物にならないけども、それでもテレビで見ていて大きく気になる感じはなかった。もちろん違和感がなかったわけではないけども。

 

しかし今回の「笑点」は、そもそもスタッフの数も多くないし、何より笑い声に張りがない。スタッフもそれなりに高齢なのだろうか、それとも笑点メンバーが作り出す笑いに張りのある笑いがそぐわないのか、それとも単に現場のスタッフがそもそも「笑おう」という気が少なかったのかは分からない。けども、今回の笑点の圧倒的な「笑いの足りない感じ」はまさに異様な光景。メンバーも雰囲気が最後までつかめないまま今回の放送が終わった感じ。

 

「自分の感情が決して投影されているわけではない」と言い聞かせながら書くけども、「終身名誉林家いっ平」(伊集院光命名)こと林家三平の答えに対する乾いた笑いは、「スタッフもっと気を遣えよ!」とテレビの前で少しムカついたくらいだ。三平の面白くない解答にムカついたのではない。スタッフのあまりの正直さにムカついたのだ。

 

普段の笑点における三平の「ただうまいこと言ってるだけで全然面白くない」答えに対して毒づく自分を含むその他大勢の感情を、会場の慈悲に溢れた笑いと拍手が包み込むことによって「それはそれでいいのかもしれないな」と自分の心まで浄化してくれていた。しかしどうだろう。乾いたわずかな笑い声は三平の三平でしかない部分を顕著にし、そして三平の面白くなさを先鋭化する。笑いの少なさは心の余裕の少なさだ。

 

コロナの収束が先か、視聴者と笑点スタッフの笑いが三平に耐えられなくなるのが先か。これは由々しき問題である。だから今後日テレは笑点でも「エンタの神様」よろしく「笑いの付け足し」をやるべきじゃないか。政府が国民に現金を給付するのと同様に、今の三平には笑いの給付が必要だ。そんな奴メンバーにいるのってどうよ、という疑問はさておき。