見る側の人間として

「ミヤネ屋」がまた叩かれてますね。

 

元KARAで先日自殺したと思われるク・ハラの報道をめぐり、韓国の自宅前から中継したことで、翌日以降報道陣やファンが押しかけたとか。抗議の電話やメールも1000件以上あったとか。あくまで「FRIDAY」が記事でそう言ってるだけで本当かどうか知らないけど。自分は大して信用してない。

 

ワイドショーの報道の在り方は令和のこの時代、昭和のような形にはもう絶対にならない。とはいえ「ワイドショー的な野次馬根性」が世の中から消えたわけではない。単にもっと手軽に無秩序に拡散されるネットに移行しただけであり、バカが主体的に関わることができるゆえ、より悪質になっていると個人的には思う。

 

あなたは大きい地震があったとき、まず何をしますか?

 

もちろん最初は安全確認だろうが、揺れが落ち着いたらまずやることは「NHKをつける」ではないだろうか。まあ人によっては「ネットあるいはSNSを見る」かもしれないが、オッサンである自分は圧倒的にNHKだ。確実に情報が流れてくるし、全体の状況がつかみやすい。

 

それと同じように、自分は「ゲスいニュースが発生する」と「ミヤネ屋をつける」のだ。なぜなら、ゲスいニュースの扱い方は「ミヤネ屋」が圧倒的に下世話でゲスいからである。変な言い方になるが、そのニュースのゲスな部分を正確にゲスく報道してくれる。餅は餅屋、地震はNHK、そしてゲスは「ゲス屋」こと「ミヤネ屋」である。

 

そういう意味で「ミヤネ屋」が自殺したハラさんの自宅前から報道したことは今の時代「あまりよろしくない」ことではあるが、「ミヤネ屋」のゲスい部分が存分に出ている「らしい」報道であることは間違いない。「もっとやれ」とは全然思わないけど、ミヤネ屋がこの距離感で報道することが、このニュースが本質的に持つゲスさを表しているのだと勝手に思う。ジャーナリズム的な意味では全くない。ただミヤネ屋がゲスいのだ。

 

また、宮根誠司を叩いている人間は、自分からすれば「つまらない人間」である。ミヤネを叩いておけば共感されると思っている心底つまらない人間でしかない。和田アキ子を、坂上忍を叩いているのとまったく同じ人間だろう。なんか偉そうに自分の意見を述べることにイライラしているんだろうな。別にその意見を強制されているわけでもないのに。色々なことを総合すれば、叩いている人間のほうが「正しい」のかもしれないけど、そんなことはどうでもいいのだ。自分の基準には何も関係がない。

 

仮に「ミヤネ屋」が終了したところで、自分の人生には何の変化もないだろう。だけど何かとびきりゲスい事件が起きたときには「ああ、ミヤネ屋見たいなあ」とたぶん思う。自分にとってそういう番組は「あってもいい番組」だ。そりゃ自分の居住地である札幌がオリンピックのマラソン開催に関して理不尽に叩かれれば腹も立つ。しかし番組が終われだなんてとは思わない。特定の意見が批判で封殺されるのは、それはミヤネの偏っているかもしれない意見よりももっと不健全だとは思うんだけど、どうなんだろう。

 

「ミヤネ屋」はゲスくていい。ゲスいからこそ「ミヤネ屋」だ。なんでそんなことも分からずにテレビ見てるんだろう。そりゃテレビ面白くないよなあ。でもその面白くなさは自分に起因していることにそろそろちょっと気付くべきだとは思う。