紙一重

「ロンドンハーツ」のナダルドッキリを見て「うーむ」と思った話。


「ロンドンハーツ」のドッキリに関して自分は全幅の信頼を置いていて、田村淳という人の悪魔的な追い込み方が為せる芸術だとすら思う。言い過ぎだけど。ただまあそのくらい褒めても構わないくらいロンドンハーツ班のドッキリの構成は優れている。


ドッキリの大オチは素晴らしいのはもちろんだが、何より素晴らしいのはその大オチに持っていくための小さな積み重ね。そしてその積み重ねを行うための細かい気配り。全体としての絶妙なバランス。どの全てが欠けてもあんな芸術的なドッキリにならない。


今回の放送でいけば「ドッキリ」というカテゴリで話していいのかはよく分からないくらいに渡辺直美ノブコブ吉村のドッキリは面白かった。まあこれに関してはロンハー感は薄く、なんだか昔の「Qさま」ドッキリを見ているようだったけども。とにかく面白いものは見れた。


しかしその後に放送されたコロチキ・ナダルの「コンプライアンスドッキリ」はどうだったかといえば、自分は「うーん……」という感想を絞り出すのがやっとだった。理由を書いてみる。


ひとつは「今回はドッキリであったが、ナダルが今後同じようなことを普通にやりそうだ」ということ。そしてそれは笑い飛ばして「面白かったねー」では到底済まされる話ではないこと。簡単に言えば、ネタバラシがオチになってない。今回はドッキリで済んでよかったね、なのかもしれないけど、あんな様子だったら今後も同じことを絶対に、やる。そして自分がそういう類の関係者でテレビを見ていたら、確実に狙う。これはもうドッキリでも何でもない。ただの「カモ紹介」である。これ、実際に自分と同じことを考える人間がいて実行に移した場合、ロンハー側はどう対処するつもりなのか。ほっかむりするのだろうか。また、ナダルが「またドッキリだろう」と思って同じような事態に飛び込んで行ったらどうなるか。あれだけ優秀なロンドンハーツ班がそんなことに考えが及んでいないのか。であればちょっと怖い。


例えば同じ筋書でも、「いつの間にか巻き込まれて結果コンプライアンス違反になってしまって焦る」であればまだしも、自ら積極的に飛び込んで行ったナダルはもう、これがドッキリだとしても普通にアウトなんじゃないのか。放送していいものなのか。もはや自分はそれすら判断がつかない。


また、「ドッキリクラウドファンディング」もあんまり筋が良くない。カンニング竹山FUJIWARA藤本、ロンブー亮から「出資」と称してブランド品や現金を徴収するというもの。ナダルドッキリの小道具にブランド品を使用したり、また徴収した現金を多用したりと、ここもドッキリの脇役として組み込まれていたのだ。


もちろん上記の3人は売れっ子のプロ芸人であるから、このくらいの対応は屁でもない。本人たちも了承の上だから当事者間で問題は全然ないのは自分も分かる。しかし、それを俯瞰で見た場合はただの「カツアゲ」である。「こういうもの」と分かっている人間はいいが、これを見た多くの人間が「ちょっと酷くないか」とならないか。特に良くなかったのは竹山は奥さんとのペアで購入した時計、藤本は嫁からのプレゼントと、「家族に関わっているもの」を出していること。ただの高級時計ならまだしも、家族の品が絡んでくると見ているほうは途端に嫌悪感を抱くもの。本人たちは「それも了承済み」ではあるんだけど、なんかこう筋が良くないなあと見ていて感じた。


ナダルドッキリにしろ、クラウドファンディングにしろ、ロンハードッキリにしては「紙一重で笑えない」ほうに傾いていた気がする。いつもロンハー班はこの「笑えるか笑えないかギリギリのところ」を絶妙のバランス感で笑えるほうに傾けている印象があるのだけど、今回は全部裏目裏目で笑えないほうに傾いていたと思う。今回たまたまそうなってしまっただけならいいんだけど、もしそうでないとしたら、こういう感覚が悪い方に揺らぐのは怖くないか。


もちろんこんなのは自分の好みが大きい。だからある人からすれば今回のドッキリも何の臆面もなく笑えたものだったとは思うし、評価も高いのかもしれない。けど自分はちょっと今回のは全体的に「うーん」と思えた。また次は素直に笑えるドッキリを頼みたい。