コアラ改めハッピハッピー

清水富美加が芸能界の仕事を全部ぶん投げて幸福の科学に出家だとか。不倫騒動を別にすれば、久々に来た「ぶっとんだ」ニュースだと思う。


騒動が表面化したのは、清水が生放送「にじいろジーン」を欠席したり、事務所のtwitterのアカウントが急に削除されたりということが起きてから。清水本人は親の影響もあり小さい頃からの信者であったようだが、報道によればマネージャーもごく最近まで知らなかったとのこと。我々一般人はもちろんのこと、近くにいる人間ですら寝耳に水だったようだ。


日本は「信仰の自由」がありますから、別に清水が何の宗教を信じてようと構いはしないのです。それが「幸福の科学」だろうが「イエスの方舟」だろうが「デカマラわっしょいおみこし軍団」だろうが別にいいんです。しかしそれは同時に「他人に迷惑をかけない程度に」と自分は思うわけですよ。信仰によるテロが許されるわけもなく、信仰をかさに悪徳商法を行うことが合法なわけでもない。信じるのは自由だが、それを日本の、世界のルールに照らし合わせた上でそこからはみださないという必要はあるわけです。


個人的に「幸福の科学」にそんなに嫌悪感はない。総裁の大川隆法がイタコ漫談を繰り広げたり、超絶面白い映画を公開したり、幸福を実現する政党を展開したりと、内部はどうなってるか知らんが、積極的にかかわることをしなければ完全なる「ネタ」軍団である。自分からすればただのネタ軍団でしかない彼らの教義を信仰するというのはまさに異世界でしかないが、それは「自由」なのだから。自分も全く教えの違う「ハロプロ教」から「ももクロ教」に信仰を変えた経験もあるわけで、そこは批判の対象にならない。


しかし、しかしだね。信仰の名のもとに契約をぶっちぎるのは、自分の価値観では許されることではないなあ、と。他人に迷惑かけてるし。


信仰を大事にしている人は「そんなもんは信仰の前では優先されないのだ」と言うのだろう。いや間違ってないと思う。それは個人の価値基準であって、どっちが絶対的に正しいということはない。彼らからすれば「契約社会なんぞアメリカ的価値観に過ぎない」わけだ。しかし、日本というアメリカほどではないにしろ「契約」という社会のお約束の中で生きている以上、それをないがしろにする人間は「信仰」にあついけども「信頼」には足りない人間ですよね。それは芸能人とか信仰とか全く関係ない次元で、である。


「信仰にあついことが信頼に足る」のはその集団のみの価値観であり、そのやり方が間違っている場合は世間の信頼を失う。世間の信頼が切れた人間は、信仰の中だけでしか生活できなくなる。新興宗教の一番の問題点はここにあると思うのだけど、清水にも同じことが起こるのかと思うと、やっぱり首をひねりたくなる部分はありますよね。芸能界を引退することは別に自分の生き方だから誰も止めることが出来ないのだ。ただ、世間の信頼を保ったまま辞めたほうがよかったんじゃないのだろうか。


今回の件が表面化したとき、清水の事務所がレプロだったことから能年玲奈の件を想起した人も多かったようだが、事務所との契約を守れない奴のワガママが引き起こしたという根っこは同じ。なぜ能年ことのんが今現在芸能活動を堂々と行っているのか自分はいまだに解せない。声優の出来が、作品の出来が良かったからといって契約をぶっちぎっていいことには全然ならないと思うんだけど、何かそこらへん釈然としないんですよね。


それはともかく、個人的には「信仰」がどうであれ「契約」は守らなければいかんというシンプルな結論しか出てこない。それを「覚悟」とか「信仰のあつさ」とかいう言葉で正当化しようとするのは間違っている。そしてその「間違っている」ことを清水本人に正しく伝え、諭さなければならないのは幸福の科学側であり、それが出来ない時点でやっぱり新興宗教新興宗教でしかないんだなあという感想だ。契約を平気でぶっちぎらせようとする人たちに誰が票を入れようと思うのか。思わないんだろうなあ。


ただし幸福の科学側がベッキーに唆された可能性は否定できない。*1

*1:「にじいろジーン」のレギュラーは元々ベッキーが座っていた場所