形容詞の数だけ

優しい人なら解ける クイズやさしいね」はどんなもんでしょうか。


内村光良がフジのゴールデンの司会を2日連続でやることが話題になりましたが、番組の中身自体は殆ど話題になっていないような気がする。自分もパイロット版として放送されたものは見たのだけど、レギュラー放送になってからは見ていない。「まあ録画して見るほどの番組じゃねえよな」というのが本音だ。


番組のコンセプトは単純明快。優しさによって出来ている物事をクイズ形式で紹介し、パネラーが答えていく。ただし単にクイズに答えればいいのではなく、最終的な優勝は司会のウッチャンが一番優しいと思った人というもの。クイズだが正解をたくさん重ねることが全てではないというのは「IQサプリ」あたりの流れを汲んでいるし、解答の良し悪しを「優しい」を基準に考えているので、一種の大喜利要素もある。個人的には「いい言葉大喜利」だと思っていた「世界は言葉で出来ている」あたりの流れを汲んでいるとも言えそう。


なもんで、個人的には悪くない部分も多いと思うんだけど、それ以上に「ちょっとなあ」と思う部分が目立つ。まず思ったのは、「知識もIQも必要なし」という触れ込み。これがどうにも苦しい。確かに学校でやる数学などの知識が必要なわけではないし、高度なひらめきが必要なわけでもない。しかし、確実に「知識」はないよりあったほうが、「IQ」は低いより高い方がより「優しい正解」に近づけるのは疑いようがない。むしろ「なぜそうなっているのか」ということを導き出す「論理的思考力」を必要とするので、IQは必要なんじゃないかと思える。


コンセプトとして「そんなものがなくても(家族で)楽しめますよ」と言いたいのだろうけど、純粋なクイズとして捉えた場合に違和感はやっぱりある。結局知っている者以上にクイズは勝てないのだ。ならばいっそのこと「問題は提示するけど、正解は提示しない」というより大喜利に乗っかったスタイルのほうがいいんじゃないかと思う。本当の正解が知りたい人は調べろ、と。


そして誰しもが思うことだろうが「優しいの定義がどうにもよくわからない」「早々にネタが枯渇しそう」という当たり前の疑問。これらから導き出される結論は「早々にやさしいんだか何だかよく分からない出題が混じり、拡大解釈されていき、変なコーナーが出現し、そしてうやむやのうちに終わっていく」だろう。そもそも長続きさせるつもりのない番組なのかもしれないからそれでいいのかもしれないけど、初めから課題が分かっているならば手の打ちようはあるんじゃないか。


自分が思ったのは「全部の形容詞でやればいいんじゃないか」ということ。早々に思いついたのは「やらしい人なら解ける クイズやらしいね!」だ。あえて「!」をつけることでやらしいことに勢いをつけたい。


Q:日本がAVにおいて無修正を発売しない理由は?


A:隠されていたほうがいやらしいことを日本人は知っているから。
(注:ウソです)


「やらしい」は定義が明確ですよね。「やらしい」だから。正解しても「やらしい」と言われるだけであまりうれしくないのもいい。「やらしい」大喜利にもいけるし、何よりIQは低いほうがいい。コンセプトに正直である。


このほか形容詞ならばなんでもいける。ただ極力ネガティブなもののほうがいい。「いやしい」「くるしい」「アホらしい」なんて感じで。もちろんたまには「明るい」「楽しい」あたりのポジティブなものがあってもいいけど、基本はネガティブ。なぜならそっちのほうが面白く転がりそうだから。もはやこの時点で家族向けではなくなっているが、そんなの知ったことではない。


パイロット版からレギュラーまでに恐ろしく期間が短かったこの番組。フジの切羽詰まった感がバリバリに出ているが、案外そういう場合のほうが上手くいくこともある。だから放っておいてもうまいこと行くかもしれないけど、もしダメになった場合は「やらしいね!」の検討をしてはいかがか。それなら見るよ。