悪趣味の認識

怒り新党」の新3大○○に「なんだかなあ」と思ったよ、という話。


毎度毎度面白い新3大○○のコーナー。普段我々があまり目や耳にすることのないマニアックなラインナップが並び、見ているだけで興味もないのに「ほ〜」と思う。そんなコーナーで今回紹介されたのが「痕跡本」と呼ばれるもの。


簡単に言えば「古本に残されていた前の持ち主の書き込み」なのだけども、今回はアンデルセン童話に挟まれていたラブレターのようなものが巻数とともに時間経過を匂わせドラマチックであり妄想が膨らむ、というもの。


自分は終始「気持ち悪いなあ」と思いながら見ていた。


確かに古本に何か挟まっていることはあるし、その書き込みで妄想が膨らむこともある。どんな気持ちでこれを書いたのか、これを挟んだまま売ってしまったのか、というのは確かに面白い。だから、個人的にはこのような妄想を働かせること、およびそのような妄想を趣味とすることに関して否定はしない。


ただ、そのような趣味は基本「悪趣味」であるという認識でもある。言ってしまえば覗き見だ。手を離れてしまったとはいえ、その人の個人的な部分に土足で踏み込むわけで、法的に問題はなくとも、それは決して胸を張って堂々と「面白い」と言うようなことではないんじゃないか、とは思うのだ。


個人の趣味の範囲で「面白いなあ」と思ってそれを収集するのは別にいいだろう。ましてやそれが高じて古本屋を経営してしまってもいい。けど、それを他人に、しかもテレビを通じて「こんな妄想できちゃうんです!すごいでしょ!」みたいな感じで発表するのはどうなんだろう。もちろん個人的な感覚ではあるけど、自分はちょっと気持ち悪い。もしこれが「道に落ちていた女性モノの下着」だったらどうか。泥棒はしていなくても、落ちていた女性ものの下着だ。集めることですらかなりの気持ち悪さが漂うが、それをテレビで「こんな下着があったんですよ!」と見せびらかしたらどう思う。自分の感覚ではこれと同じだ。その下着にストーリーがあったとして、その妄想を語ったらどうか。


自分にだって「他人のプライベートを覗いてみたい」という願望がゼロかと言われればそんなことはない。ただ、そのような願望はあったとして内に秘めるし、もし妄想を働かせるにしても他人に大っぴらには発表しない。集めてもいい。妄想してもいい。けど発表するのはなんか違う。テレビが手を貸す形になっているのもイヤだ。


タモリ関根勤は妄想の素晴らしさを解く。間違いではない。アニメや二次創作が発達し、妄想そのものに肯定的な空気が出来上がっているのも分かる。けど、妄想を「妄想芸」として高めるためには、やっぱりある程度技術が必要であり、今回の放送は、ただ本から得られた情報をもとに下世話な推理を働かせるというロマンチックでもなんでもない「胸に秘めておいてほしいレベルの妄想」でしかなかったと思う。


なんていうか一番怖いのは「こういう感覚」って自分だけなんだろうか、ということ。少なくともこのVTRを作ったスタッフには「そういう感覚」の人間が一人もいなかったんだろうし、スタジオ内でそういう指摘をする人もいなかった。何度も言うようだが、痕跡本集めや妄想そのものが悪いとは言わない。自分だってゲスな人間だし、趣味の範囲でやるぶんには悪いとは言わない。けど、「テレビで放送するようなものではない」という感覚にはならなかったのか。ズレてるのはテレビか、自分か。さあどっちだ。