幕が上がる、そして

2泊3日で東京に旅行に行ってました。ただのGW休暇ですが、最大の目的はももクロちゃんの舞台「幕が上がる」の初日を見に行くためでした。この後の記述は完全にネタバレありですので、知りたくない人はご注意を。


同名のももクロちゃん主演映画の前売券を購入した際に、ついてきたのが「舞台チケットの優先購入の抽選権」。なんとも微妙な特典であり「絶対当たるわけねー」と思いつつも、「もし当たったら行ける日にせねば!」ということで、当たらないこと前提で競争率の高い初日を申し込んだら、うっかり当たってしまった。当たった以上は行かないとバチが当たるので、当たったその日に東京行きの手配をしました。


会場は六本木のブルーシアター。六本木ヒルズをうろちょろしたあとで会場に向かうも、六本木ヒルズ側からは入ることが出来ないことをすっかり忘れており(調べたときに確認はしていた)、しばし会場到着にてこずるが、ももクロの5色のいずれかを過剰にまとっている人を見つけ(かくいう自分も割と緑色をしていたのですが)ついて行ったらあっさり到着。便利。


会場に着くと駐車場のような場所でしばし並べさせられる。気温も割と高く、日よけも無い場所だったので「これはイカン」と思っていたが、他に行く場所も当てもないので(ここらへんは地方人の弱み)我慢して並ぶ。その際にいいオッサン同士が過剰に馴れ合っているのを見てげんなりする。結構こういう現場には通っているはずなのに(それこそモー娘。時代から)いかんせん苦手だ。人見知りもそうなんだけど、馴れ合うこと自体を誇らしげにしているのが見ていられない。


そんなことを考えているうちにようやく入場。早々に並んでいたため、パンフレットを難なく購入。並んでいる花なんかを見渡して、のちに「ああ、そういうことね」というのが幾つか。あとはドラマ関連で非常に興味深いものがあって、呟いたりもしたんだけど一切そこらへんの話題が出てこないのはなぜなんだろう。わざと伏せてあるのかな?


開場したのになかなか客席には入れてもらえず。「なんで?」と思っていたが、客席について数分後に理由は分かる。舞台は緞帳も下りず既にスタンバイ済み。それどころか照明までしっかり準備済みであり、もう舞台に役者さんがいる。「何かの調整かな?」と思いきや、そこは「0場」と呼ばれる、定時開演前の前段を既に演じているものだった。がるる(舞台パンフではカタカナ表記のガルルになってたんだが)を演じたれにちゃんがちょいちょい登場したのもサービスかと思いきや、そういう「演出」だったのだ。


舞台で描かれるのは精神的支柱だった吉岡先生(映画では黒木華)が学校を辞めたことを知らされた翌日から話が始まる。映画ではあまり描写されなかった、吉岡先生が辞めたことにより劇中劇「銀河鉄道の夜」の脚本を変更する過程が、新たに舞台版で付け加えられたエピソード「中西さん(有安杏果)が東日本大震災のときに盛岡に住んでいた」ことを軸に展開される。


原作既読の自分からすれば、映画に足りなかった部分(銀河鉄道の夜に対する解釈)が補完されている印象であり、そこは非常に良かったと思う。特にラストのシーンでクルミを鳴らすシーン。映画を見てもあまりよく分からないのですが、今回の舞台を見ればあのシーンの持つ重要性というか心への刺さり方が全然違う。もっと言えば「等身大ってなんだ」というテーマも盛り込んでほしかったんだけども、そこまでは踏み込んでいなかったのが惜しい。


ももクロちゃんの初舞台」という視点からいけば、これはもう十分すぎるくらいだと思う。もちろん脇を固める役者も達者な人たちなんだろうけど、やはりライブを本職にしている彼女たちならではの「勘の良さ」が初舞台とは思えないくらいに堂々としていた。とはいっても数年ぶりに見た舞台の感想なので、的外れであるかもしれないことは付け加えておく。


個別の感想を述べていくと

百田夏菜子

難しい役だと思うのです。劇中でも悩み続けており、そしてその「悩んでいる」という感情を大げさに声や仕草で表現することが出来ない。静かな表現のみで演じなければならない。そもそも百田さんは強烈な「正」のエネルギーを纏っている人ですから、やや「負」に寄っている今回の役はただでさえ難しいのに、その表現は大変だったでしょう。正直なところ自分は今回の舞台でリーダーの演技に「おっ」という部分を見つけることはできなかった。それは決して悪い意味だけではなく、良くも悪くも映画の「高橋さおり」をそのまま保っていたということ。千秋楽の演技を見たら全然違うかもしれない。

玉井詩織

玉井さんに関しては映画の中の「ユッコ」から既に達者だった感があるけども、今回はそのユッコが劇中で演じるジョバンニによる表現がさらに深まっている。というかもう最後のシーンに尽きてしまうと思います。途中カラオケで「悲しくてやりきれない」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を歌うシーンがありますが、ここが一番微妙だったなあ(笑)。*1

佐々木彩夏

あーりんは、あんま印象に残ってない。なんだろうなあ、部分部分でしっかりいい仕事していたはずなんだけど、今思い出せることがあまりないんだよなあ。それだけ安定感のある仕事だったということかな。

有安杏果

映画同様に分かりやすい見せ場がありました。それは「見せ場を与えても大丈夫」という長い芸歴からくる安心感だと思うのですが、あのシーンが印象的になりすぎて、他の細かいいい演技があまり印象に残らないかなあと思いました。序盤のカンパネルラの演技とかもいいと思います。推しだからでしょうか。

高城れに

今回の舞台のMVPは高城さんだと勝手に思ってます。なぜなら、れにちゃんが、ガルルが、ストーリーの都合上退屈になりがちな展開にスパイスを与える観客の牽引役だからです。誤解なきように言えば、ストーリーの展開が退屈なのはこれ仕方ないんです。何か劇的なことが起こることを作品化していないし、その意図で作られているのだから。けど見ているほうが退屈に感じることも同じように仕方ないんです。そういう舞台作品をたくさん見ている人ならまだしも、おそらく大半の観客はそうではないのだから。そんな中れにちゃんがいることで、救われる。重苦しい雰囲気を一瞬和らげてくれるなくてはならない存在でした。一年の高田こと伊藤沙莉さんとの掛け合いは回を重ねるごとに磨かれていくんでしょう。千秋楽にはどんなことになっているのか。「また君に恋してる」を歌うシーンは逆にいつものれにちゃんだった気がします。そして何よりの見どころは最後のカンパネルラの父親。名シーンだと思います。


疑問点や引っかかる点も挙げておきます

さおりの髪型

今年の正月にショートカットにした百田さん。映画の撮影は既に終わっていたから問題なかったものの、今回の舞台でも髪は短いまま。映画と舞台は設定は同じであるが全く同一のものではない(そもそも役者が違うし、今回の舞台をそのまま映画に当てはめると齟齬が出る部分がある)から、百田さん演じるさおりが映画と異なりショートカットであることは特に問題があるわけではない。本人たちも髪の件は雑誌で話題にしているし、気にはなっていたんだろう。


個人的な意見を言えば、ここはカツラでもウイッグでもいいから映画と同じ髪型でいてほしかった。なぜかといえば、「似て非なる別物」だとはいえ、やっぱり観客の99%は映画を見てきているわけだし、映画のイメージのままこの舞台を見るわけですよ。だったらやっぱり髪長いほうが「一連の作品」という印象付けが出来てよかったんじゃないかなあ、と。まあ好みの問題でしょうが。

中西さんのエピソード

原作にも登場しないエピソードによる話の展開に戸惑った人もいるだろう。震災が絡んでくるのは安易とも取れる。ただまあ今回の脚本は原作者の平田オリザ本人によるものであり、また平田本人が震災を意識して元々の話を書いている部分も見受けられるので、このエピソードの追加は文章に起こさなかった設定を舞台用に起こしたのではないか、と思う。個人的にはアリ。

ラスト

最後は劇中劇「銀河鉄道の夜」のラストシーンでそのまま終わりを迎えます。キャストが演劇部の練習である「セリフ渡し」をしながら衣装に少しずつ着替えていくので、最後は練習から本番に移行するんだろうな、という予感はありましたが、そうでありながらさおりがその場にいたり、中西さんが練習には姿を現さないままラストシーンでカンパネルラとして登場したり、頭がゆわんゆわんするような部分もあります。


ただこれは明確な正解を提示することだけが演劇ではありませんし、ウヤムヤを「演劇の余韻」と捉えるならばこれはこれでOKなのだと思います。ジョバンニとカンパネルラが星空で別れを告げる幻想的なシーンが全てをウヤムヤにするのですよ。

サイリウム

舞台初日、カーテンコールではスタンディングオベーションを含む大音量の拍手でもって彼女らの熱演を讃えました。どうも舞台演出側(特に本広監督)はそこでサイリウムを使ってほしいらしんですが、自分はこれに単純に「?」と疑問を呈します。


舞台中にサイリウムはいかんが(二人が歌うシーンはあるけども、特段サイリウムを降るようなシーンでもないと自分は思うので、禁止されるまでもないようには思う)、カーテンコールではサイリウムを是非出してほしいくらいのことまで言ってるわけだ。こんなこと言われたら素直で盲信的なモノノフはサイリウム出してしまうんだろうけど、あの話の流れでマトモに話に入り込んでいたら、サイリウムを取り出して最後だけ照らすなんて行動にはならんような気がするんだよなあ。少なくとも自分はそう思った。


これはもう必然性の問題じゃないっすか。舞台演出側がどういうつもりでそんなこと言ってるのか自分にはよく分からない。少なくともサイリウムを出す必然性が自分には提示されていないと感じています。ちょっと作り手の自己満足が強いかなあと。

ギャグ

これに関してはもう完全に「本広監督が評価されない理由」の上位に入ってくる話なので、勘弁してあげましょう。手癖。ただ女子高生の日常を描けば、ああいうギャグだってやるわけだから、自分はここは不問ということで。


舞台が終わった後、周囲の人々はみな感動に包まれておりました。自分のような人間はどうしても色々考えて観てしまう性分なので、時間が経った今であれば色々受け止めて感動することが出来るのでしょうが、その時は「え?何がどうなってるの?」とか色々考えてダイレクトに感動できなかったのです。だからすぐさまスタンディングオベーションをする気にもなれず、拍手だけしてました。まあ最後はしたんですけども。


色々考えながら外国人で溢れる六本木を後にし、コンビニで「ひとり打ち上げ」を敢行するための酒とつまみを購入し、ホテルへ戻る。頭の中では冷静にいたつもりでしたが、体は相当興奮していたのでしょう。部屋に戻ってシャワー浴びてたら久々に大量の鼻血を出してしまい、血で染まるシャワールームは完全に「浴槽でリストカットした人」状態に。十数分止まらない鼻血と格闘したのち、ひとり酒を飲みながらパンフレットに目を通すという至福の時間を過ごしたのでした。


舞台は生ものなので、この後回数を重ねるごとに色々ブラッシュアップされていき、千秋楽では自分の見たものとはまた違った「完成形」が見られることでしょう。ただまあやっぱりライブもそうですが、舞台は「生」で見るに限ります。「ももクロの初舞台を生で見た」という事実は、今後ももクロが築いていく歴史を考えたときに、末代まで誇れる話になるでしょう。まあ今後結婚の予定がない自分が末代になる可能性が大なんですけども。


あとは余談として今回の東京旅行のハイライトを書いておけば
新宿二丁目、案外狭い
ゴーゴーカレー、安い
・鳥貴族人気ありすぎ
・「丸ビル」は2つある
・旦那に裸を見られるのがイヤになった
博多天神のラーメン、替え玉無料とか料金リーズナブルすぎる
QVCマリン楽しいけどビール高すぎる
・日ハム激強い
・偶然は重なる

こんな感じです。

*1:twitterでマネージャーの川上氏が「仕事の節目には聞こえてくる」と呟いていたが、よくよく考えるとこの曲は氏がももクロの前にマネージャーで担当していた沢尻エリカ出世作である「パッチギ!」でオダギリジョーが歌っていた曲なんですよね