自己中VS自己中

映画「セッション」を見ました。以下ネタバレありです。未見かつ見る予定のある方はご注意を。


個人的には「傑作」という感じまではしなかったですが、「良作」ではあったと思います。まあ映画を映画館で見ることはあんまりない人間の感じたことなので、そこらへんの判断は見た方が判断すればいいのですけども。


自分は人間の器が小さいので、「器の小さい人間が仕掛ける」という話は嫌いじゃないんですよ。この映画はまさに「器が小さく、しかも自己中心的な似たもの同士の諍い」なのですよ。自分は最後まで見てそう思いました。


フレッチャー先生は「スパルタ的な指導をするのは伝説レベルの人間を育てたいからだ」と述べ、ネイマンにジャズの音楽祭にドラマーとして出演を持ちかける。しかしこの誘いはフレッチャー先生が大学を追われた原因がネイマンにあったことに気づいていたからだった。*1自分の率いるバンドまで犠牲にして私怨を晴らそうとするその姿勢は「音楽にのめりこむ狂気」だけでは説明が出来ない。単に人としての器がやっぱり小さいんだ。


では学生のネイマンが一方的に虐げられるほうだったか、といえばそうではない。フレッチャー先生に認められたことにより、親戚たちを見下し、そして自分から告白して付き合った彼女を「邪魔になるから」という理由で一方的に別れを告げる。もちろんこれは「ドラムにのめりこんでいく狂気」をじわじわと描いていくものではあるが、結果としてフレッチャー先生と何も変わらない。音楽を、自分の才能を理由にして周りを顧みない。学校を退学になったあと元彼女に連絡を取る女々しさ。なんて自分勝手なんだ!


その似た者同士が最終的に音楽でぶつかる。それは周りには理解されない、できない次元での話。最後の演奏はそういうことなんだろう。だから最後まで見終わって「ん?オチはないのか?」となる。普通の映画なら最後に握手のひとつでもしそうなもんだけど、そうじゃない。あくまで私怨を公の場で晴らそうとした身勝手な二人の男の話。「理解できん!」が正解じゃないのかな。


映画を見終わった後は誰かに感想を言いたくなる映画です。そして原題であり劇中で演奏される「Whiplash」と最後に演奏される曲「Caravan」がとても聴きたくなります。あとは「ファッキンテンポォォ!」と無性に叫びたくなります。GWにヒマしている方は見てもいいんじゃないでしょうか。

*1:ここらへん映画の序盤で「フレッチャー先生がそういうことに鋭い」という描写があって、巧いなあと思う