年寄の冷や水

世界で冷や水かぶるのが流行っているようですね。


アイスバケツチャレンジ」なる企画で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の支援のために行われているもの。指名された人物は氷水をかぶるか100ドル寄付するかその両方をやるか、つうことで、氷水をかぶる人はSNSあたりで公開するんだとか。まあいかにもアメリカンの考えそうなことですよね。悪い言い方をすれば「たかり方」が上手い。


日本の芸能界(とか偉い人)にも急速にこの輪が広がっていて、どいつもこいつも冷や水かぶってます。なんか祭りのように。別に100ドル払えば水なんかかぶらなくても済むんだけど、これが広まっている人たちは一様に金も話題性も欲しい方々ばかりですから、水もかぶるし寄付もする、つうスタンス。田村淳の「何もしない人が批判すべきじゃない」という考えもわかるし、武井壮のように「お金は出すけど水はかぶらない」という冷静な判断もわかる。この手の議論(いわゆる「やる偽善」論)は、それこそ「水かけ論」だ。


今回はこれがオチじゃないよ!


自分もどっちが正しいかはわかりません。ただ、自分が仮に有名人だとして指名を受けたら、「お金も出すし水もかぶる」と思う。今の自分なら「無視する」が最有力だが、芸能人という職能を考えたときに、お金だけを冷静に出すとは思えないし、水かぶってお金出さないという選択肢もないと思う。やはり偽善と言われようとパフォーマンスと言われようと、「芸能人としては水かぶって金出す」が最善なんだもの。闇雲に批判している人は「自分だったら」という想像力が欠如している。今の自分じゃなくて芸能人の自分を想像しなきゃダメだ。


ただそれでも「ちょっとイヤだなあ」という気持ちを持ち合わせているのも事実。前述で「悪い言い方をすればタカリだ」と書いたけども、決して悪いことではないけども、相手の意図にまんまと乗せられている感がバリバリあって、それが安易に流行ってしまうことに、捻くれ者としては抵抗がありますよね。いかにも非エグザイル的思考です。最近これが自分の思考回路を説明するのに便利すぎて多用しちゃいます。


ネットでも指摘されているけど、数年前に流行った「ホワイトバンド」と同じ匂いがする。チャリティがファッションであってはいけないとは思わないけども、安易に流行として一過性にしてはいけないんじゃないか、という「やらないマジメ」を考えてもしまう。田村淳に言わせりゃそれじゃあダメなんだろうけど、イヤなものはイヤなんだもの。


とまあ理屈をこねて書いてはみたが、自分の「なんかイヤ」の理由ははっきりしている。それは秋元康がホイホイ乗っかってくるようなものはまず疑ったほうがいい」という曾祖父の遺言が自分の心の中にあるからだ。まあ曾祖父は秋元康知らないでしょうけど。


理屈はいらない。シンプルに考えればそうなる。秋元康が乗っかってくるんだから、この企画はキナ臭い。それがたとえ世界平和に貢献することであっても、だ。自分は頑なにそう信じている。