幸子消失

昨日「ナニコレ珍百景」と「トリックハンター」でももクロちゃんが裏被り(「トリックハンター」は夏菜子だけ)するという事態になりました。両方見られればそれで問題ないのですが、生憎その時間帯は仕事しているし、全番組録画なんてツールもありゃしません。こういう場合は「面白そうなほうを見る」という自分のルールに従いまして、「トリックハンター」のほうを録画しました。理由は簡単。「小林幸子脱出イリュージョン」が見たかったからだ。


小林幸子がイリュージョンをする。もうこの字面だけで「ただ事ではない」感が半端ない。もちろん純粋に「凄い」という気持ちはなく、「ああ、今小林幸子はこういうことになってるのね」という「ただ事ではない」感である。それが番組に、VTRにどのような形で表れるのか、という完全に怖いもの見たさである。


そんな自分の底意地の悪さを日テレはいとも簡単に飛び越えた。


自分はテレビを作る側の人間ではないので、「おそらく」という形でしか言えないのだけども、おそらくテレビ番組を、VTRを作るときには「こういう風に見てほしい」という意図があって番組を作るんじゃないだろうか。もちろんそれが意識的であれ無意識であれ、「自分の気持ちは全くありませんが番組作りました」って人はいないだろうと思う。だからこそ自分は「これはこういう意図で作ってるんだろうな」とか思いながら番組を見ることが多い。イヤな客である。


しかし、今回の「トリックハンター」における小林幸子脱出イリュージョンは、VTRの意図がどこにあるのか、全く分からないままだった。もう本当に軽いパニックである。見終わって「これはいったいどういうことなのか」と少しの間考えてしまった。VTRの流れは以下の通りだ。


小林幸子が「デビュー50年でやり残したことは脱出イリュージョンだ」という、完全にわけのわからないところから話が始まる。この番組が「はじめてのイリュージョン」ということで、割と大御所の芸能人(VTRで紹介されたのは志村けん)に脱出イリュージョンをさせて、それがどんなトリックで脱出したのかを種明かしするという趣旨なので、別に「誰がどんな理由で脱出しても構わない」のだが、そんなことはお構いなしに「芸歴50年で足りなかったものはイリュージョン」とか平気な顔して喋り出す。ここからもう気持ち悪い。


誰も小林幸子が本当にデビュー50年を機に脱出イリュージョンをやろうだなんて信じていない。事務所の騒動で紅白をはじめとした仕事がなくなり、積極的に今までやってこなかった仕事を(仕方なく)こなしていることは少しでも小林幸子に関心がある人ならば知っている。身も蓋もない言い方をすれば「金のため」。けど番組上は「デビュー50年の節目として」なんだもの。美川憲一の帽子のプレゼントとか、最後の晩餐と称して食べていた「幸子米」(小林幸子の名前を冠したお米)とか、いったいどんな顔して見ていればいい?


小林の脱出見届け人として登場したのが東MAX森口博子、そして福田彩乃。なんだこのメンツ。バラエティタレントとしては安定感抜群だが、なぜ小林幸子の脱出を見届けなければならないのか。誰も小林ゆかりの人を呼べなかったのか。そりゃ呼べないよなあこんな茶番じゃ。


実況辻よしなりで始まったイリュージョン。失敗とみせかけて成功、というのはイリュージョンのお約束であり、もはや「イリュージョンが失敗して小林幸子が帰らぬ人に!」なんてことを思いながら見ている人は全世界にひとりもいない。だってVTRだし。本当に死んでたら放送できないし。この手のイリュージョンは生放送だからこそ「本当に失敗したら…」というちょっとの緊張感が生まれるものだが、VTRなら弛緩も弛緩、緊張感ゼロである。絶対に成功するし。


間違いなく見届け人の3人も同じことを思っている。けど仕事だから福田彩乃は小林が乗っていて潰される車を見て「なんで(機械を)止めないの!」とか言って泣くんですよ。もう、どうしたらいい!なんて言えばいい!バイきんぐの小峠に大声で叫んでもらいたいくらいだ。絶対に失敗しないイリュージョンに、絶対のウソ泣きの福田彩乃。みんな仕事だとはいえ、地獄かここは。


当然ながら小林幸子は奇跡の(笑)生還。小林がどのようなトリックを用いて脱出したのか説明されるんだけど、もうそんなの正直どうでもいいですよね。この茶番が組み立てられた理由のほうを逐一説明してほしい。そしてVTRは終わりスタジオへ。司会の内村の第一声が「どういう気持ちで見たら良いか分からない」だった。同感すぎる。


この番組の趣旨はあくまで「トリックがどうなっているか」なので、小林幸子が芸歴50年だろうが、福田彩乃が泣こうか、正直どうでもいいのである。小林が脱出したトリックが大事なのだから。けど、小林がどう脱出したかなんかより数百倍「なんでこんな展開にする必要があったのか」という疑問が頭から離れず、何を意図したもんなのかさっぱり理解できないまま話が終わる。トリックが一番どうでもいい。


おそらくではあるが、「イリュージョン」=「引田天功」という日テレのお家芸のもと、同じフォーマットを構築して分かり易くしているのだろうけど、見せ方も時代も違う今、同じフォーマットにすることで何か大事なものをマッハで置き去りにしているような気がしてならない。全てが虚構のまま終わるVTR。まさにイリュージョン。自分の意識も小林幸子も、このままどこかへ消えてしまえばいい。久々に清々しいまでの問題作。